興福院との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 14:39 UTC 版)
「興福院」も参照 興福院(こんぶいん、奈良県奈良市法蓮町)は奈良の尼寺であり、同寺には鷹山氏に関する文書群「鷹山家文書」(奈良県指定文化財)が所蔵されている。またこれに近世史料6点を加えたものが、東京大学史料編纂所の影写本で「興福院文書」と呼ばれている。 大和の武士に関しては、鷹山氏のほか、奈良の柳生氏、宇陀の沢氏、宇智の三箇氏を除くとまとまった古文書は極めて稀で、興福院に残る文書群は貴重となる。 この文書群に含まれる「鷹山氏系図写」によると、鷹山頼茂の従姉妹の春心尼は弘文院(興福院)の住持・自慶院(秋篠氏の娘)の姪で、自慶院の弟子となって弘文院に入寺した。妹の光心尼も弘文院に入って住持となり、三代将軍・徳川家光から新たな知行地と興福院の寺号を賜り、弘文院から興福院に名を改めた。頼茂の娘・清心尼も興福院に入寺したが、光心尼が死去すると跡目について揉めたようで、頼茂が寺社奉行に7年にわたり訴えた結果、光心尼の遺言通り清心尼が住持を継いだという。また、清心尼は四代将軍・家綱より法蓮村に寺地数百間を賜ったとされる。 興福院の教誉清心尼と弟の公慶は父・頼茂の十五回忌に際して、鷹山氏の菩提寺だった円楽寺を修復し、興福院に関係のある僧侶を入寺させた。円楽寺は明治の廃仏毀釈の際に破壊されたが、その跡地には鷹山氏の墓所が残る。
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