興福寺奏状と八宗体制論とは? わかりやすく解説

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興福寺奏状と八宗体制論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 21:52 UTC 版)

八宗体制論」の記事における「興福寺奏状と八宗体制論」の解説

法相宗中興の祖といわれる笠置寺京都府笠置町)の解脱貞慶解脱上人)によって起草された『興福寺奏状』(1205年)は、その冒頭において、日本古来あったのは八宗法相宗倶舎宗三論宗成実宗華厳宗律宗南都六宗および天台宗真言宗平安二宗)であり、それ以外の新宗が立てられたことは今まで絶えてなかったと主張する浄土教中心とする鎌倉仏教研究大きな足跡のこした田村圓澄は、1969年昭和44年)に発表した論文鎌倉仏教歴史的評価」において、『興福寺奏状』中の「八宗同心訴訟」(伝統仏教八宗が心をひとつにしての訴え)という文言注目し八宗そのように同心して法然とその教え排撃ようとする背景には、法然教義浄土宗)からみずからの有する特権防衛しようとする伝統仏教側の意図があったとみなし、そうした共通の利害にもとづく仏教界の古代的秩序を「八宗体制」と名づけた。 奏状は全9条から成り、その第9条には「仏法王法お身心のごとし、互いにその安否をみ、宜しくかの盛衰を知るべし」と記されている。ここでいう仏法」とは伝統八宗説く仏法であり、『興福寺奏状』には。そのような仏法公家政権による王法とが並び立ち、たがいに支え合うことで共存共栄を図ることができると説く論理みられる田村によれば八宗同心訴訟寄せられる公家政権は、結局のところ律令国家系譜連なる古代国家なのであり、それゆえ国家との相互補完的な関係を根拠勅許天皇認可)を立宗における不可欠条件とする『興福寺奏状』の論理は、逆言すれば、八宗体制古代的性格を示すものにほかならなかったのである田村の説では、この時期、すでに東国本格的な武家政権である鎌倉幕府成立しており、その力に圧倒され古代国家解体しつつあったとし、その崩壊は、国家不即不離の関係にあった伝統八宗にとっても存亡の危機であり、法然による浄土宗の開宗八宗体制対す最終的な破綻宣告等しかったとみる。こうした状況下で奏状後鳥羽上皇治天の君として擁する公家政権にむけて提出されたことは、衰亡してゆく伝統仏教界による最後の抵抗でなかったのかと田村とらえたのである

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