南部泰三
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南部 泰三(なんぶ たいぞう、1916年4月13日 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである[1][2][3][4][5][6][7][8]。本名は松角 知己男(まつかど ちきお)[1][3]。1936年(昭和11年)に大都映画に入社して助監督となり、その後、大毎東日映画部、日本映画社、満洲映画協会を経て、第二次世界大戦後に独立した[1]。1964年(昭和39年)から成人映画を手がけ、黎明期の作家とされる[2]。第八芸術映画プロダクション代表、「亜細亜文化振興会」情報部長を歴任した[1]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u キネ旬[1976], p.294.
- ^ a b c d 田中[1976], p.85-86.
- ^ a b c 南部泰三、jlogos.com, エア、2014年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 南部泰三、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g 南部泰三・松角知己男、日本映画情報システム、文化庁、2014年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g 南部泰三、KINENOTE, 2014年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 南部泰三・松角知巳男、日本映画データベース、2014年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 南部泰三、デジタル・ミーム、2014年8月21日閲覧。
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『俵藤丈夫』 - コトバンク, 2014年8月21日閲覧。
- ^ 高千穂[1983], p.750.
- ^ 泉[2000], p.164.
- ^ 渡辺護「おれが南部泰三の助監督をやったやつは、井川耕一郎、twitter, 2014年8月21日閲覧。
- ^ (井川)渡辺護さんは、助監督として南部泰三『殺られた女』(64)についたとき、井川耕一郎、twitter, 2014年8月21日閲覧。
- ^ a b 電影[1991], p.402.
- ^ 大西康子 - 日本映画データベース、2014年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e 文藝年鑑[1965], p.257-258.
- ^ 年鑑[1967], p.325-332.
- ^ 西原・円尾[2002], p.300.
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