黎明期の成人映画へ
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東映退社後の大西は、白川良夫が代表取締役、山内敏男が取締役本部長を務める新映プロダクションで成人映画『BG物語 好きならあげる』を監督、独立系成人映画の世界に進出した。同作は、東映京都撮影所の大部屋女優であった井瀬昌枝(のちの加山恵子)を起用して「井瀬須子」の名でクレジットし、1965年(昭和40年)5月に公開された。井瀬は東映にまだ籍があり、前年に設立された東映京都テレビプロダクションが同年に製作したテレビ映画『新選組血風録』第13話『強襲十津川屋敷』(監督佐々木康)に出演、同作が同年10月3日に放映されているが、同作を最後に退社、「加山恵子」と改称して同年11月に公開された『牝狼』(監督竜神昇)、『血と肉』(監督深田金之助)に主演した。大西は、同年8月に公開された『愛欲』以降、大西 孝典と改称した。翌1966年(昭和41年)1月公開の『鏡の秘事』ではふたたび加山を主演に起用、同年3月公開の『夜ひらく花』も加山を主演に撮り、大西は、同作を最後に新映プロダクションを去る。 『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで成人映画黎明期のおもな脚本家・監督として、若松孝二、高木丈夫(本木荘二郎の変名)、小林悟、新藤孝衛、糸文弘、小川欽也、小森白、山本晋也、湯浅浪男、宮口圭、深田金之助、南部泰三、藤田潤一、小倉泰美、浅野辰雄、渡辺護、片岡均(水野洽の変名)、福田晴一の名を挙げたが、大西には触れていない。西原儀一は、既存の映画監督のなかでこの時期に成人映画を手がけた監督として、小川欽也、福田晴一、深田金之助、倉橋良介、田中徳三、萩原遼の名を挙げたが、大西には触れていない。大西が成人映画に転向した1965年は、山本晋也、渡辺護、向井寛らの監督デビュー年と同一であり、大西は成人映画黎明期の映画作家であるといえる。1966年9月に公開された『甘い吐息』以降は、映建工芸が製作する作品を大西自らが製作・監督した。1969年(昭和44年)2月に公開された『甘きつつ噛む』を加山を主演に製作・監督したが、大西は「健康を害して」映画界を引退した。同作を最後に加山も映画界を退いている。 大西が満53歳であった1976年(昭和51年)12月24日に発行された『日本映画監督全集』の大西の項によれば、引退後は京都・太秦の帷子ノ辻駅付近に「アテンション・プリーズ」という名の喫茶店を経営していたという。結婚年等は伝えられていないが、一男一女を残した。2015年(平成27年)現在、同店は存在しない。没年不詳。
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