黎明期の参戦(1911年 - 1915年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「黎明期の参戦(1911年 - 1915年)」の解説
1911年にインディ500が始まると、第1回レース(英語版)にはメルセデスとベンツの車両がともに参戦した。第2回となる1912年のレース(英語版)ではラルフ・デ・パルマ(英語版)が駆るメルセデスがレースの大部分をリードしたものの、この時は198周目にトラブルを起こして優勝を逸する。 1914年7月のフランスグランプリで、メルセデスチームは1-2-3フィニッシュを達成した(→#1914年フランスグランプリ)。この時の車両(メルセデス・18/100PS)の1台は、レース後にデ・パルマによって買い取られ、アメリカに送られた。デ・パルマはこの車両に乗って1915年のインディ500(英語版)に挑み、インディ500初優勝を遂げた。 このようにインディアナポリス500の最初の数年において、メルセデスの車両は活躍を続けたが、第一次世界大戦の進展によりアメリカ合衆国にとっての敵国ドイツの車であるメルセデス車両は参戦が途絶えることになる。 第一次世界大戦後、メルセデスチームは1923年のインディ500(英語版)に当時のワークスドライバーの主力メンバーであるクリスティアン・ラウテンシュラガー、クリスティアン・ヴェルナー、マックス・ザイラーを参戦させたが、この時は芳しい結果を得ることはなかった。以降、メルセデスは再開されたヨーロッパのレースに集中し、チームとしてインディ500に参戦することはなくなった。
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