ラルフ・デ・パルマ(アメリカ)
10歳のときに両親に連れられてイタリアからアメリカに渡った。のちにアメリカの市民権を得て、第1次世界大戦をはさんだ20余年の間、トップ・ドライバーのひとりとして活躍した。バーニー・オールドフィールドの大向こう受けを狙ったショーマン的なやり方を好まず、やがてそのライバルとして各地で対決することになった。ラルフ・デ・パルマと彼のチームの特徴は、いつでも洗いたての白いオーバーオールで身を固めていたことであった。また、アメリカ人ドライバーのなかでは、早くから欧州のレースにも参加するという先駆的な役割を果たした。1921年のフランスGPではジミー・マーフィーのデューセンバーグと争い、フランスのバローを駆って2位に入賞している。インディ500は15年に優勝しているが、ほかに幾度か優勝目前でマシンが壊れる不運を味わっている。
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