クリスティアン・ヴェルナー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/03 08:57 UTC 版)
クリスティアン・ヴェルナー Christian Werner |
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ヴェルナー(1922年タルガ・フローリオ)
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基本情報 | |
国籍 | ![]() ![]() |
生年月日 | 1892年5月19日 |
出身地 | ![]() |
死没日 | 1932年6月17日(40歳没) |
死没地 | ![]() |
クリスティアン・ヴェルナー(Christian Werner、1892年5月19日 - 1932年6月17日)は、1920年代のドイツのレーシングドライバーである。ダイムラー社(Daimler Motoren Gesellschaft、DMG)、ダイムラー・ベンツ社のワークスドライバーとして知られる。
経歴
1911年12月15日にダイムラー社に整備士兼運転手として働き始める[W 1]。その後、最終検査部門でマスタードライバーに認定された[W 1]。
レーシングドライバー
第一次世界大戦後の1920年代になって同社のワークスドライバーとしてレースに参戦するようになる[W 1]。
1922年タルガ・フローリオの頃にはメルセデスチームのエースと目され[1]、このレースではスーパーチャージャーを搭載したメルセデスを駆って8位でチェッカーを受けた[2]。1923年にはインディ500にも参戦して、完走を果たす[3]。
インディ500で使用した車両は翌1924年のタルガ・フローリオでも使用されることになり、同時に開催されたコッパ・フローリオとともに、ヴェルナーは両レースで優勝した[1][4]。この「完全勝利」はダイムラーにとって「敵地」であるイタリアで挙げたものであり、同社にとって大きな勝利となる。
この時期にダイムラーに入社した新人ルドルフ・カラツィオラがレースチームへの加入を希望し、ヴェルナーはそのトライアルとなる走行の監督を務め、結果、その走りを高く評価した[5]。1928年のドイツグランプリ(ニュルブルクリンク)では、そのカラツィオラとメルセデス・ベンツ・SS(W06)のステアリングを共有し、優勝する[5]。
青いオーバーオールを着た背の高いやせた男が現われた。ヴェルナー氏であった。(中略)彼の長い悲しそうな顔には大きな鼻とくぼんだ目がついており、決して笑うことがないような印象をうけた。[5]
—ルドルフ・カラツィオラ(1923年6月)[注釈 1]
ヴェルナーはヒルクライムレースでも活躍し、1925年に開催された第1回フライブルク-シャウインスラントヒルクライムレース(1984年まで続く伝統のレースとなる)で優勝し、1927年までに3連覇を果たした[1]。
1928年ドイツGP
1928年ドイツグランプリの勝利もまた、ヴェルナーのレースでよく知られるもののひとつである。
ニュルブルクリンクで開催されたこのレースは事故による死亡者や負傷者が続出した激しいものとなった。ヴェルナーも顔にかかったオイルで目を傷めたことと、あまりにも固いステアリングによって肩を脱臼してしまったため、レース途中でピットインして自身の車をヴィリー・ウォルブに譲る事態となっていた[6]。ヴェルナーが肩の手当てをしていると、カラツィオラもピットインしてきて、カラツィオラは酷暑のレースで異常過熱したペダルによって足の裏をやけどしたことと、熱中症が疑われたことで一時離脱することを余儀なくされた[6][W 2]。ここで、チーム監督であるアルフレート・ノイバウアーが賞金を交渉材料としてヴェルナーを説き伏せ、ヴェルナーはカラツィオラの車を引き継いでレースに復帰することを承諾した[6]。負傷した肩を吊った状態のヴェルナーは怪我を負ったカラツィオラと交代しつつ走り切って優勝し[6][W 2]、このレースでメルセデスチームは表彰台を独占するとともに、1926年の第1回大会からこの第3回大会まで、ドイツグランプリの3連覇を達成した[W 2][注釈 2]。
死去
1929年の世界恐慌の影響によりダイムラー・ベンツはレース活動を縮小していき、ヴェルナーには他社からの引き抜きの声がかかるようになった。しかし、ヴェルナーはそれらを断り同社に留まった。そんな折、1932年に喉頭癌により死去した[7]。
レース戦績
インディアナポリス500
年 | シャシー | エンジン | スタート | フィニッシュ |
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1923年 | メルセデス | メルセデス | 15 | 11 |
ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
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1930年 | ![]() |
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メルセデス・ベンツ・SS | 8.0 | 85 | DNF | DNF |
脚注
注釈
出典
- 出版物
- ^ a b c F.ポルシェ その生涯と作品(フランケンベルク/中原1972)、「VII タルガ・フローリオ クリスティアン・ヴェルナー」 pp.46–51
- ^ MB Quicksilver Century(Ludvigsen 1995)、p.75
- ^ MB Quicksilver Century(Ludvigsen 1995)、p.79
- ^ MB Quicksilver Century(Ludvigsen 1995)、p.85
- ^ a b c d カラツィオラ自伝(高斎1969)、「4 ダイムラー・ベンツ入社」 pp.25–28
- ^ a b c d オートスポーツ 1966年5月号(No.10)、「レース史上に名をとどめる“タイガー”たち」(嵯峨彪) pp.100–102
- ^ MB (ノイバウアー自伝)(橋本1991)、「2 魔のニュルブルクリンク」 pp.18–24
- ウェブサイト
- ^ a b c “Werner, Christian” (英語). M@RS – The Digital Archives of Mercedes-Benz Classic. 2021年6月28日閲覧。
- ^ a b c d “Triple victory for Mercedes-Benz SS at the Nürburgring 90 years ago : “Super Sport” sensation in the scorching July of 1928” (英語). Mercedes-Benz Group Media (2018年7月12日). 2023年2月11日閲覧。
参考資料
- 書籍
- Alfred Neubauer (1958). Männer, Frauen und Motoren. Hans Dulk. ASIN 3613033518
- アルフレート・ノイバウアー(著)、橋本茂春(訳)、1968、『スピードこそわが命』、荒地出版社 NDLJP:2518442 NCID BA88414205 ASIN B000JA4AOS
- アルフレート・ノイバウアー(著)、橋本茂春(訳)、1991-03-03、『メルセデス・ベンツ ─Racing History─』、三樹書房 ISBN 4-89522-148-2 NCID BB04709123 ASIN 4895221482
- Rudolf Caracciola (1958). Meine Welt. Limes Verlag
- ルドルフ・カラツィオラ(著)、高斎正(訳)、1969-12-10、『カラツィオラ自伝』、二玄社 ASIN 4544040086
- Richard von Frankenberg (1960) (ドイツ語). Die ungewöhnliche Geschichte des Hauses Porsche. Motor-Presse-Verlag
- リヒャルト・フォン・フランケンベルク(著)、中原義浩(訳)、1972-11-25、『F.ポルシェ その生涯と作品』、二玄社 NCID BN13855936 ASIN B000JA1AQO
- Karl Ludvigsen (1995-06). Mercedes-Benz Quicksilver Century. Transport Bookman Publications. ASIN 0851840515. ISBN 0-85184-051-5
- 雑誌 / ムック
- 『オートスポーツ』(NCID AA11437582)
- 『1966年5月号(No.10)』三栄書房、1966年5月1日。ASB:AST19660501。
外部リンク
- Christian Werner - Mercedes-Benz Public Archive (英語)
クリスティアン・ヴェルナー(Christian Wöllner)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/22 14:32 UTC 版)
「ノストラダムス関連人物の一覧」の記事における「クリスティアン・ヴェルナー(Christian Wöllner)」の解説
『ノストラダムスの神秘』。「恐怖の大王」は、日食を意味する当時の慣用表現であると主張した。この見解はアレクサンダー・チェントゥリオやクルト・アルガイヤーといった後続のドイツ人解釈者たちに踏襲された。
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