スーパーチャージャーの導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)
「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「スーパーチャージャーの導入」の解説
パウル・ダイムラーは、1922年からAIACRが施行した「2リッターフォーミュラ」規定に合わせた車両を開発し、そこでその後のメルセデス(メルセデス・ベンツ)のレース用車両で1950年代まで長きに渡って使われ続けることになる新技術「スーパーチャージャー」を投入した。 第一次世界大戦中に航空機エンジンの開発と製造を担っていたダイムラーは、そこで得たスーパーチャージャーの技術を自動車用エンジンに応用した。エンジンに空気を強制的に送り込むことによって小排気量のエンジンでも大きな馬力を得ることができるこの装置はレース用エンジンにとって強力な武器となった。 この時期、ダイムラーの技術部門にはもうひとつの大きな変化が起こった。フェルディナント・ポルシェの加入である。1923年に技術部長としてダイムラーに加入したポルシェは前任者のパウル・ダイムラーが残していった仕事を引き継ぎ、レース関連ではまずスーパーチャージャーの改良に尽力した。ポルシェが改良した車両は1923年にインディ500に参戦し、ここでは結果が出なかったが、翌1924年はワークスドライバーのクリスティアン・ヴェルナーが4月のタルガ・フローリオ(ドイツ語版)とコッパ・フロリオ(英語版)を連覇して「完全制覇」を達成し、両レースとも2位をラウテンシュラガー、3位をアルフレート・ノイバウアーが占め、メルセデスチームが完勝を果たした。
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