第一次世界大戦後の復帰(1922年 - 1925年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)
「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「第一次世界大戦後の復帰(1922年 - 1925年)」の解説
1921年にグランプリレースが再開される。第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは不況に見舞われ、ダイムラーとベンツも苦しい財政事情の中、レースに復帰する。 1921年9月、エドムント・ルンプラーがベルリンモーターショー(IAA)にルンプラー・トロップフェンワーゲン(英語版)(涙滴型自動車)を出品する。ベンツのチーフデザイナーであるハンス・ニベルはこの流線形の車両に関心を持ち、ベンツはルンプラーからライセンスを受け、1923年にレース用車両のベンツ・トロップフェンワーゲン(ドイツ語版)を完成させる。(→#ベンツ・トロップフェンワーゲン) 1922年4月、タルガ・フローリオに1914年型メルセデス・18/100PSにフロントブレーキを搭載する等の改造を施して参戦し、優勝する(ドライバーはジュリオ・マセッティー(英語版))。 末、技術部長のパウル・ダイムラーがダイムラーを去る。 1923年春、アウストロ・ダイムラーに所属していたフェルディナント・ポルシェがアルフレート・ノイバウアーらを引き連れてダイムラーに移籍し、技術部長に就任する。 末、不況下で生き残りを図るため、ダイムラーとベンツは将来の合併を念頭に置いた覚書を交わし、非公式な提携関係となる。 1924年4月、前年のインディ500(英語版)用の車両をポルシェが再設計してタルガ・フローリオに参戦し、優勝する(ドライバーはクリスティアン・ヴェルナー)。 1925年グランプリレースにおいて、この年からライディングメカニック(コ・ドライバー)の同乗が禁止された。 7月12日、ミュンヘンで「全国息切れ車クラブ(ドイツ語版)」の25周年記念祝賀会が催され、81歳のカール・ベンツが参加したほか、ドイツ博物館に収められていたパテント・モトールヴァーゲンから最新型のレース車両まで、新旧のベンツ車、メルセデス車が一堂に会する。
※この「第一次世界大戦後の復帰(1922年 - 1925年)」の解説は、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の解説の一部です。
「第一次世界大戦後の復帰(1922年 - 1925年)」を含む「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事については、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の概要を参照ください。
- 第一次世界大戦後の復帰のページへのリンク