第一次世界大戦後の社会状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/04 15:28 UTC 版)
「赤いウィーン」の記事における「第一次世界大戦後の社会状況」の解説
第一次世界大戦がオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊で幕を閉じた後の1918年11月12日、第一共和国が成立。翌年5月4日には、初の普通選挙による市議会議員選挙が行われ、社会民主党が絶対多数を獲得し、ヤーコプ・ロイマンが初めて同党員市長に就いた。 当時のウィーンは、大戦中にロシア軍が一部を占領していたガリツィア(現在のウクライナ西部)からの難民の他、大戦末期になると、帝国軍の元兵士が一時的ではあれ、市内に定住していた。その多くが戦時債券を購入していた中産階級も、大戦終了に伴い紙屑同然となったため、ハイパーインフレーションも相俟って貧困層に転落。また、数世紀にわたり市内に食料を供給していた近隣地域の独立に伴い、食料不足が表面化した。住宅難も深刻で、結核やスペイン風邪、梅毒が一気に蔓延することとなった。
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