第一次世界大戦後の委任統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:17 UTC 版)
「植民地主義」の記事における「第一次世界大戦後の委任統治」の解説
第一次世界大戦後も、植民地主義に大きな変化はなかった。民族自決の原則は欧州に限られ、アジア・アフリカの中央同盟国側の旧領土は委任統治領として戦勝国に分け与えられた。いちおう委任統治という名目はついたものの、これらの委任統治領の統治は植民地と何ら変わるところはなく、事実上植民地の再分配が行われたにすぎなかった。ただし、委任統治領は社会の発展段階に応じてA式、B式、C式の3段階に分けられ、もっとも発展しているA式に分類された旧オスマン帝国領の諸地域に関しては住民自治が認められ、イギリス委任統治領メソポタミア、フランス委任統治領シリア、イギリス委任統治領パレスチナの3つの地域に関しては早期独立を目指すこととされた。これらの地域においては、メソポタミアがイラクとして1932年に独立したのを皮切りに、シリアはレバノン(1943年)とシリア(1946年)、パレスチナ東部はトランスヨルダンとして1946年に独立を達成した。ただしパレスチナ西部についてはユダヤ人とアラブ人の激しい対立が起こり、委任統治の終了は1948年にまでずれ込み、また統治終了はそのままイスラエル独立宣言とそれによる第一次中東戦争の勃発という形で爆発することとなった。また、B式に分類された西アフリカ・中央アフリカの旧ドイツ植民地やC式に分類された太平洋諸島・南西アフリカに関してはほとんど従来の植民地と同じ扱いとなったが、委任統治の受任国は連盟理事会に該当地域の統治状況の報告を義務付けられ、同じく連盟に設置された委任統治委員会に勧告を受けるなど、ある程度の歯止めを意識した施策は行われた。
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