黎明期の映写機から
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:03 UTC 版)
「ベル&ハウエル」の記事における「黎明期の映写機から」の解説
1907年2月17日、ベル&ハウエル・カンパニーは設立された。イリノイ州クック郡の記録簿には8日後に正式に登録された。同年同月19日の朝10時、最初の株主総会が法律家W・G・ストロングの事務所で開催された。最初の取締役会が、1年の任期で選任された。取締役会長にドナルド・ジョーゼフ・ベル、秘書役にアルバート・サマーズ・ハウエル、副会長にマーグリット・V・ベル(ドナルドの妻)といったメンバーであった。ベルとハウエルの2人は映写技師であった。同年、35mmフィルム映写機のロータリー・フレイマーを発表、フリッカーを軽減した。 1908年、35mmフィルムのパーフォレーションの穿孔機を発表、さらに翌1909年には35mmフィルムの業務用撮影機を発表、以降その生産をつづけた。この手回し撮影機スタンダード・シネマトグラフ2709は、初期のサイレント映画に使用されたが、非常に高額でチャーリー・チャップリンのほかは3つの映画会社しか所有できなかった。1911年(明治44年)、映画の現像場向けの焼付け機材を発表する。 歴史上、同社はさまざまな異なるメディア技術を提供した。
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