独立系成人映画の時代とは? わかりやすく解説

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独立系成人映画の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/08 08:20 UTC 版)

加山恵子」の記事における「独立系成人映画の時代」の解説

同年11月には、国映配給した『牝』(監督竜神昇)、東京企画配給した『血と肉と罪と』(監督深田金之助)の2本の主演作と、加山助演六邦映画配給した藤三恵子主演作娼婦真紀子抄 砂の穴』(監督深田金之助)の合計3本立て続け公開された。いずれも加山 恵子改称しての出演である。『血と肉と罪と』は『血と肉』の題で同時期に六邦映画配給したともされているが、同作と『娼婦真紀子抄 砂の穴』の2作は、東映京都撮影所女優であった日高綾子いずれも企画出演同じく深田金之助1917年 - 1986年)がいずれも企画監督した作品である。深田大西秀明同じく前年撮影所第1次人員整理の際に東映退社しており、『血と肉と罪と』および『娼婦真紀子抄 砂の穴』は深田独立系成人映画踏み出した最初作品であった。 『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期成人映画界のおもな出演者として、扇町京子桂子城山路子光岡早苗同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ明子森美沙湯川美沙光岡早苗路加奈子有川二郎里見孝二、川部修詩佐伯秀男の名を挙げているが、加山には触れていない。田中は、同じくおもな脚本家監督として、若松孝二高木丈夫本木荘二郎変名)、小林悟新藤孝衛糸文弘小川欽也小森白山本晋也湯浅浪男宮口圭、南部泰三藤田潤一小倉泰美浅野辰雄渡辺護片岡均水野洽変名)、福田晴一とともに深田金之助の名を挙げており、深田成人映画転向第1作主演女優である加山は、黎明期独立系成人映画重要な女優と言える加山この後日高深田組んだ現代悪女伝 ピンクピンク作戦』(同年12月公開)、『砂の穴 情事からくり』(1966年2月公開)、『快楽の罠』(1967年7月11日公開)の3作に主演した1966年昭和41年4月プロダクション鷹製作した扇町京子主演作女体標本』(監督木俣堯喬)に助演した後、同年5月には、当時木俣提携していた若松プロダクション製作した『ひき裂かれた情事』(監督若松孝二)に主演同作は、加山代表作とされる加山の初主演作監督した大西秀明は、独立2作目以降大西孝典」と改称し同年10月公開された『女郎妻』から映建工芸での製作・監督を開始しており、加山同作にも主演した以降加山は、同社作品はほとんどの作品主演ないしは助演でも出演した1967年昭和42年12月16日公開された『十一人の侍』(監督工藤栄一)に「芸者」役で端役出演2年ぶりの東映京都撮影所作品であった。翌1968年昭和43年5月1日公開された『徳川女系図』(監督石井輝男)は、同撮影所製作したメジャー成人映画であり、加山は「おゆき」役で出演している。 1969年昭和44年2月公開された『甘きつつ噛む』(監督大西孝典)に主演して以降同作最後に作品歴途切れる同作を製作・監督した大西も、同作最後に「健康を害して映画界引退している。同時期に東映から独立した深田金之助は、加山主演した快楽の罠』を最後に2年前にすでに沈黙している。以降加山消息伝えられておらず、存命であれば2015年平成27年)には75歳高齢である。

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独立系成人映画の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 22:08 UTC 版)

藤田潤一」の記事における「独立系成人映画の時代」の解説

1965年昭和40年)からは独立系成人映画世界転身同年5月には藤田 潤八の名で『艶説四谷怪談』、岡野 進の名で『熱い夜』をそれぞれ監督いずれも東京放映(代表・吉野達弥)の製作、新東宝興業配給によって公開された。同年7月には、『艶説四谷怪談』に主演した左京未知子起用して『性の代償』を監督(「岡野進名義とも)、自らのプロダクションプロダクション)の製作、センチュリー映画社(代表・井上猛夫、1964年10月設立)の配給により公開された。追って同年8月東京都港区麻布笄町現在の西麻布)に設立され六本木映画株式会社(代表・長屋喜代美)に参加する。『日本映画発達史』の田中純一郎によれば同社は、藤田中心とした製作会社である。1966年昭和41年前半センチュリー映画社倒産しており、藤田は、同年7月15日に同区西新橋2丁目5番1号設立され株式会社東京映画社代表取締役高木波英、常務取締役藤村政治)の設立参加同社取締役製作担当就任する東京映画社製作した映画は「島村公平」が監督した『偽れる性』(1966年8月以外の記録残っていない。藤村政治生年不詳 - 2010年)は、その後ワールド映画営業部長経てプリマ企画設立した田中純一郎は、『日本映画発達史』のなかで成人映画黎明期のおもな脚本家監督として、若松孝二高木丈夫本木荘二郎変名)、南部泰三小林悟新藤孝衛糸文弘小川欽也小森白山本晋也湯浅浪男宮口圭、深田金之助小倉泰美浅野辰雄渡辺護片岡均水野洽変名)、福田晴一とともに藤田の名を挙げている。 1967年昭和42年11月21日公開された岸信太郎との共同監督作『ダブルドッキング』(主演辰巳典子以降作品歴不明である。「岸信太郎」とは、ヤマベプロダクション代表の山邊信雄の変名であり、同プロダクションの製作、関東映配配給により公開された。山中貞雄弟子あり、かつて「鳴滝組」のメンバーとして藤田とは近い存在であった萩原遼また、1969年昭和44年4月公開され乱孝寿主演作『異常の性 年上の女』で独立系成人映画世界踏み出している。萩原は5作を監督したが、いずれも東京興映(代表・小森白)が製作したものであり、藤田との直接の関係は不明である。 『日本映画監督全集』が発行され1976年昭和51年12月24日段階では、藤田の項を執筆した岸松雄は「最近聞けば先日まで病院療養の身だった」という当時近況知らせている。離婚した妻が育てた2人の子息は、いずれも外食チェーンスエヒロ勤務したという。

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