映画製作者に転向
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渡辺護の回想によれば、1964年(昭和39年)、渡辺が助監督を務めた『悶える女子学生』(監督南部泰三、同年11月公開)では、斎藤は、同作の製作を務めていたという。同作の宣伝ポスターには、「斉藤邦雄」の表記(誤記)で出演者としてクレジットされている。満35歳であった1965年(昭和40年)4月には、扇映画プロダクションを設立、製作を開始する。設立第1作は同年6月に公開された『あばずれ』、同作は抜擢された渡辺護の第1回監督作品でもあり、斎藤は「製作」にクレジットされた。同作は旧・新東宝関西支社の後身である新東宝興業(現在の新東宝映画)が配給したが、出資者は俳優の伊豆肇であったという。 「扇映画プロダクション」を参照 1966年(昭和41年)8月23日に公開された『女子大生の抵抗』(監督渡辺護)をもって、扇映画プロダクションは活動を停止した。同社の活動停止以降、斎藤邦唯の活動は不明であるが、生前の渡辺護(2013年12月24日死去)は、斎藤とは「まだつきあいがあります」と語っていた。その後も存命であれば2015年(平成27年)には86歳になる。
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