映画製作者としてとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 映画製作者としての意味・解説 

映画製作者として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 06:18 UTC 版)

コーエン兄弟」の記事における「映画製作者として」の解説

このころプリンストン大学卒業したイーサンが、ジョエルの住むニューヨーク訪れてくる。兄弟共同脚本執筆開始、後にそれを彼ら自身の手映画化した処女作ブラッド・シンプル』(1984年)を発表する同作低予算での製作ながら、完成度の高いスリラー映画として好評博した。この作品兄弟インディペンデント・スピリット賞監督賞を受賞し一躍インディペンデント映画界で注目される存在となる。 その後兄弟ハリウッド大手スタジオ20世紀フォックス契約する。そして20世紀フォックスからのバックアップ受けて赤ちゃん泥棒』(1987年)、『ミラーズ・クロッシング』(1990年)、『バートン・フィンク』(1991年)といった話題作を次々公開する。特に『バートン・フィンク』は同年度のカンヌ国際映画祭パルム・ドール監督賞、男優賞の主要3部門を制覇兄弟国際的な知名度を向上させた。 ハリウッドスター数多く起用し巨額の製作費を掛けた未来は今』(1994年)では興行的に惨敗喫したものの、捲土重来期した次作ファーゴ』(1996年)は批評家たちに絶賛され兄弟に初のアカデミー賞脚本賞)をもたらした海外での評価高く、この作品兄弟二度目カンヌ国際映画祭監督賞受賞している。『ファーゴ』は2014年からTVシリーズFARGO/ファーゴ』となり、兄弟製作総指揮務めている。『ビッグ・リボウスキ』(1998年)は公開当時興行的に批評的にも微妙な評価だったが、現在ではカルト映画として一部熱狂的なファンから絶大な支持受けている。 2000年代入ってコーエン兄弟意欲的に作品発表していく。ジョージ・クルーニー主演の『オー・ブラザー!』(2000年)は、映画のサウンドトラック700万枚超える売上挙げるという話題となった翌年の『バーバー』(2001年)では往年のフィルム・ノワール髣髴させる白黒映画の製作に挑戦。『バートン・フィンク』『ファーゴ』に続き三度目カンヌ国際映画祭監督賞受賞した。『ディボース・ショウ』(2003年)、『レディ・キラーズ』(2004年)も興行的に成功収め批評家たちから評価高くとも一般受けはしないという兄弟に貼られたレッテル返上する活躍見せた。 『ノーカントリー』(2007年)では作品賞を含むアカデミー賞4部門を受賞批評家たちからファーゴ』に匹敵する傑作だ賞賛され、全世界1億6000ドル上回る興行収入挙げた翌年公開された『バーン・アフター・リーディング』(2008年)も全米興行収入初登場1位という大ヒット記録2年後には『トゥルー・グリット』(2010年)で全世界興行収入が『ノーカントリー』を上回る、2億5千万ドル記録しコーエン兄弟キャリアにおいて最大ヒット作となる。 その後も『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(2013年)で、第65回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ受賞2015年には第68回カンヌ国際映画祭審査員長に就任。同映画祭では史上初となる兄弟揃って審査員となった

※この「映画製作者として」の解説は、「コーエン兄弟」の解説の一部です。
「映画製作者として」を含む「コーエン兄弟」の記事については、「コーエン兄弟」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「映画製作者として」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「映画製作者として」の関連用語

映画製作者としてのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



映画製作者としてのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのコーエン兄弟 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS