映画製作の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/30 09:36 UTC 版)
「オスカー・ミショー」の記事における「映画製作の開始」の解説
ある日、ミショーは黒人の資本家から、1917年に発表した小説『ホームステッダー The Homesteader』の映画化の申し出を受けるも、ミショーはこれを断った。その代わりとして、ミショーは勤務先の出版社を買収して自らの映画制作プロダクションとして再編、経営を安定させたうえで、同作の映画製作に乗り出した。作品は1919年2月に公開され、黒人映画監督が製作した初めての長編映画となった。 翌1920年には、秘密結社クー・クラックス・クランの人種差別思想を美化しているとして当時物議を醸していたD・W・グリフィスの『國民の創生』 を正面から批判する『我らが門の内にて Within Our Gates』(1920)を製作、黒人の観客から熱狂的な支持を集めた。きびしい人種差別がつづく当時のアメリカで、黒人は映画の主役になることもなく、また映画館で白人と並んで映画を鑑賞することも許されなかった。しかしミショーの成功で、黒人俳優が登場する物語を黒人専用の映画館で上映する人種映画(英語版)」と呼ばれるジャンルが誕生し、定着することになった。1924年に公開された『ボディ・アンド・ソウル Body and Soul』は、「淫蕩な黒人が性的脅威をもたらす」という白人社会に浸透していた偏見を正面から取り上げた作品として現在でも高く評価される。またこの作品で主役をつとめたポール・ロブスンは人気俳優となり、以後国際的に活躍の場を広げてゆく。1931年に製作した『追放 The Exile』は、黒人監督が製作した初の長編トーキー映画となった。
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