映画製作からの撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 03:04 UTC 版)
「ピート・ウォーカー (映画監督)」の記事における「映画製作からの撤退」の解説
恐怖映画の傑作を続けざまに監督したウォーカーだったが、低予算での映画制作に限界を感じていた。1970年代後半にはマルコム・マクラーレンが "A Star Is Dead" という仮題がつけられたセックス・ピストルズのライブ・ドキュメンタリー映画を企画した際に、監督にピート・ウォーカーを起用する意向を示す。しかし1978年にセックス・ピストルズが解散したことによってこの企画は頓挫してしまう。 低予算のB級ホラー専門監督から脱却するために、ピート・ウォーカーは1979年の"Home Before Midnight"(1979年)では恐怖映画から離れてシリアスな恋愛映画に進出する。イタリア映画『ふたりだけの恋の島』(1971年)から影響を受けたとされる"Home Before Midnight" は、14歳の少女と成人男性との悲劇的な恋愛を感動的に描いた。青春映画の佳作として今日では高く評価されているが、公開当時は興行的な成功を収めることができなかった。 "Home Before Midnight" を最後に映画製作から身を引く決意をしていたウォーカーだったが、キャノン・フィルムのメナヘム・ゴーランとヨーラム・グローバスから声をかけられて、中国人探偵チャーリー・チャンを生み出したことで知られる推理作家E・D・ビガーズの推理小説『ポルドペイトへの7つの鍵』を映画化した『魔人館』House of the Long Shadows(1983年)で久々に映画監督復帰を果たす。この作品でウォーカーは『魔界神父』の主演を依頼しながら実現しなかったピーター・クッシングをようやく起用することができて、クッシングとの対面に感慨無量だったと言う。クッシングのみならずヴィンセント・プライス、クリストファー・リー、ジョン・キャラダインという怪奇映画のスターをそろえた豪華キャストと、ウォーカー作品の常連シーラ・キースの顔合わせで話題を呼んだが、原作小説そのものが取るに足らない出来だったためもあって、ウォーカー監督にとっても不本意な出来映えに終わってしまった。ちなみにシーラ・キースとピーター・クッシングは、クッシングがシャーロック・ホームズを演じたテレビドラマ『ぶな屋敷』(1965年)以来の共演となった。 『魔人館』を最後にピート・ウォーカーは映画監督を引退。低予算映画製作のストレスと重労働に音を上げてしまったのが引退理由とされる。その後は不動産投資や映画館チェーンの経営などで生計を立てているとのことである。
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