興福寺の八部衆像とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 興福寺の八部衆像の意味・解説 

興福寺の八部衆像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 19:54 UTC 版)

八部衆」の記事における「興福寺の八部衆像」の解説

日本における八部衆像作例としては、奈良興福寺のもの(奈良時代国宝)が知られる昭和期より寺内国宝館にある。 興福寺の八部衆像は麻布を漆で貼り重ねた乾漆造で、廃絶した西金堂に安置されていた。西金堂は光明皇后亡母橘三千代追善のため天平6年734年建立したもので、本尊釈迦三尊像中心に梵天帝釈天像、八部衆像十大弟子像などが安置されていたことが知られる京都国立博物館の「興福寺曼荼羅図」(平安末~鎌倉初期重文)を見ると、八部衆像本尊左右前方後方に各2体ずつ安置されていたことが分かる作者は、像造は百済からの渡来人将軍万福彩色は秦牛養とされる八部衆を含む興福寺西金堂諸像については、『法華経序品ではなく、『金光明最勝王経所説に基づく造像だと解釈されている。いずれも1体が15kg程度であり、度々の火災での焼失免れた要因としてこの軽さ挙げられる。 以下に各像について略説する五部浄像 - 像高48.8cm。色界最上位色界第四禅天(色究竟天善見天善現天無熱天無煩天)に浄居天(じょうごてん、Śuddhāvāsa、シュッダーヴァーサ)と呼ばれる阿那含聖者住んでおり(聖者が住む世界自体も浄居天と呼ばれ色界第四禅天は五浄居天ともいう)、自在天子、普天子、遍音天子、光髪天子、意生天子という五尊の浄居天を合わせて一尊したもの五部浄居天と呼ぶ。『千手陀羅尼経』ではこの経典受持する者を守護するとされており、『今昔物語集』では釈迦四門出遊の際「老人病人死人出家者」の4つ見せて釈迦出家促している。また、大本経』にも登場し釈迦が五浄居天を訪れた際、かつて過去仏の弟子だった浄居天の神々が師の事蹟釈迦伝えている。興福寺像は象頭の冠をかぶり、少年のような表情造られているが、頭部上半身一部を残すのみで大破している(他に、本像の右手部分東京国立博物館所蔵されているが、これは1904年明治37年)、個人所有者から当時帝室博物館寄贈されたものである)。 経典説く「天」に当たる像と考えられる千手観音眷属二十八部衆一尊でもあり、三十三間堂五部浄居像は頭に象頭を乗せ左手に刀を持つ武神像である。 沙羯羅像 - 像高153.6cm。頭頂から上半身にかけて巻き付き憂い帯びた少年のような表情造られている。本像は、経典説く「竜」に当たる像と考えられている。ただし、興福寺の沙羯羅像を「竜」でなく「摩睺羅伽」に該当するものだとする説もある。二十八部衆には「娑伽羅龍王」の名で登場する鳩槃荼像 - 像高151.2cm。頭髪逆立ち、目を吊り上げ怒り表情造られている。経典説く夜叉」に相当する像とされている。 四天王内の増長天眷属ともいう。三十三間堂には祀られていない二十八部衆一尊にも含まれる乾闥婆像 - 像高160.3cm。獅子冠をかぶる着甲像である。両目はほとんど閉じられている。 阿修羅像 - 像高153cm。三面六臂表される天平文化奈良観光など紹介でもしばしば取り上げられる著名な像である。国宝館での展示でも、胸像として残る五部浄像以外の7体の中別格扱われている。 迦楼羅像 - 像高149.7cm。興福寺像は鳥頭人身の着甲像である。三十三間堂清水寺本堂二十八部衆中の迦楼羅像は翼を持ち笛を吹く姿に造られている。 緊那羅像 - 像高149.1cm。頭上一角、額に縦に3つ目の目があり、寺伝通り当初から緊那羅像として造られたものと思われる。 畢婆迦羅像 - 像高156cm。正確なサンスクリット語名が不明な謎の尊格である。仏教学者山田明爾十二神将の毘羯羅大将(Vikarāla)と同一尊格であるとしている。また、氷竭羅天(Pigala)のことであるとする資料存在するが、田中公明それならば「婆」の字が余計であるとして懐疑的である。チベット語訳経典記載された名称からはBilvakararāja吉祥果作る王者)というサンスクリット語名が想定出来るがその様な名称の護法神はいないためやはり正体は謎である。田中はVibhākara(「作光」即ち「太陽」の意)が正確なサンスクリット語ではないかとも述べている。興福寺像は他の像と異なり、やや老相に造られあごひげ蓄えている。経典説く摩睺羅伽」に相当するものとされるが、定かでない三十三間堂二十八部衆の内には畢婆伽羅摩睺羅両方存在し前者通常の武神像後者五眼持ち琵琶を弾く像として表されている。 五部浄像 迦楼羅像 左・畢婆迦羅像、右・沙羯羅像 左・畢婆迦羅像、右・鳩槃荼興福寺の漆像の他には、八部衆涅槃図などの絵画作品に諸菩薩釈尊弟子と共に描かれる場合があり、法隆寺五重塔初層北面釈迦涅槃表した塑像群の中にも阿修羅初めとする八部衆の姿が認められるが、彫像作例は他にほとんど見られない千手観音眷属である二十八部衆日本での代表的な作例京都・三十三間堂、同・清水寺など)の内にも八部衆相当する仏尊包含されている。

※この「興福寺の八部衆像」の解説は、「八部衆」の解説の一部です。
「興福寺の八部衆像」を含む「八部衆」の記事については、「八部衆」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「興福寺の八部衆像」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「興福寺の八部衆像」の関連用語

興福寺の八部衆像のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



興福寺の八部衆像のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの八部衆 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS