興福寺の乱入とは? わかりやすく解説

興福寺の乱入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 07:39 UTC 版)

山田寺」の記事における「興福寺の乱入」の解説

玉葉』(九条兼実日記によれば文治3年1187年)に興福寺僧兵山田寺押し入り講堂本尊薬師三尊像強奪して興福寺東金堂本尊据えた記録されている。発掘調査では金堂・塔・講堂12世紀末に焼失した事が確認されており、この事件の際に焼き討ちされたと考えられている。また『興福寺略年代記』の承久2年1220年)の記述に「山田寺西金堂引之」とあるのも、この時に収奪された鐘である可能性指摘されている。 当時興福寺平重衡兵火治承4年1180年)で炎上後、再興途上であった。この薬師如来像応永18年1411年)の東金堂の火災の際に焼け落ちかろうじて焼け残った頭部だけが、その後新しく造られ本尊像台座内に格納されていた。この仏頭昭和12年1937年)に再発見されるまでその存在知られていなかった。なお、共に強奪され両脇侍の日光菩薩・月光菩薩興福寺東金堂健在で、再興像の薬師如来像とともに重要文化財指定されている。 また来歴不明であるが、法隆寺献納宝物四十八体仏のひとつ、阿弥陀三尊像整理番号144号・重要文化財)には「山田殿像」と刻銘されており、山田寺伝来可能性指摘されている。 この事件機に山田寺荒廃したようで、『多武峰略記』によると12世紀末には、堂塔鐘楼経蔵僧房跡地になっていたと記されている。

※この「興福寺の乱入」の解説は、「山田寺」の解説の一部です。
「興福寺の乱入」を含む「山田寺」の記事については、「山田寺」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「興福寺の乱入」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「興福寺の乱入」の関連用語

1
4% |||||

興福寺の乱入のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



興福寺の乱入のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの山田寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS