興福寺からの批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 02:25 UTC 版)
元久2年(1205年)9月、興福寺の僧徒から朝廷へ法然に対する提訴が行われ、翌月には改めて法然に対する九箇条の過失(「興福寺奏状」)を挙げ、朝廷に専修念仏の停止を訴える。 「興福寺奏状」 興福寺僧網大法師等 誠惶誠恐謹言 殊に天裁を蒙り、永く沙門源空勧むるところの専修念仏の宗義を糺改せられんことを請ふの状右、謹んで案内を考ふるに一の沙門あり、世に法然と号す。念仏の宗を立てて、専修の行を勧む。その詞古師に似たりと雖もその心、多く本説に乖けり。ほぼその過を勘ふるに、略して九ヶ条あり。 九箇条の失の事 第一 新宗を立つる失 第二 新像を図する失 第三 釋尊を軽んずる失 第四 不善を妨ぐる失 第五 霊神に背く失 第六 浄土に暗き失 第七 念仏を誤る失 第八 釋衆を損ずる失 第九 国土を乱る失
※この「興福寺からの批判」の解説は、「承元の法難」の解説の一部です。
「興福寺からの批判」を含む「承元の法難」の記事については、「承元の法難」の概要を参照ください。
- 興福寺からの批判のページへのリンク