自主断髪後の帰参
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後の大関・清水川元吉は1926年1月場所で小結に昇進した時期から人気に溺れて乱酒と放蕩に身を持ち崩し、極道(交際女性の兄)が絡む事件を起こし、本場所を放棄し続けた結果、1927年には師匠小錦八十吉から破門を言い渡された。翌年には白川義則陸軍大将の書を持参して日本相撲協会へ復帰を要請したが、門前払いを受けた。帰郷後に頭を丸め、父に伴われて上京し、再度の嘆願を試みたがここでも許されず、父は帰郷後に復帰を嘆願する心血こめた遺書を協会に送り自殺した。これを受けて、師匠が懇意にしていた殿り卯三郎(当時の年寄・荒汐)や、右翼の頭山満・杉山茂丸などの有力者が清水川の角界復帰を後押しする動きを見せたことで、協会もようやく復帰の是非を問う評議会を開催した。当初出席者の大半は復帰に反対したが、両国梶之助(当時の年寄・出羽海)が「命を殺しての嘆願が、将来、二度とあるか」と反対意見を一蹴し、清水川は1928年10月場所において十両最下位格で復帰するはこびとなった。上述の通り、嘆願活動において自主断髪を行ったため、復帰直後は丸刈り頭で出場した。 上述の春秋園事件で天龍と共に髷を切った力士のうち、綾櫻・鏡岩・朝潮をはじめとする21名(及び唯一髷を切らなかった出羽ヶ嶽)は、事件から1年後の1933年1月場所に帰参した。その大半は帰参直後には髷が結える程に髪が伸びておらず、ザンバラ頭で土俵に上がったとされる。 後の関脇・玉乃海太三郎は幕下時代の1940年に、巡業先の上海で、泥酔して憲兵に暴力を振るいしかも倒してしまい、駆けつけた他の憲兵に拳銃を抜かれる騒ぎを起こした。当時大関の羽黒山政司と当代師匠玉ノ海梅吉が懸命に詫びを入れたことで射殺は免れたものの、この取成しが相撲協会からの破門を条件として成されたため、除名となった。処分が除名であった関係上、断髪式は行わず自主的に断髪したとされる。その後は海軍の軍属としてトラック諸島、テニアン島、ガダルカナル島の飛行場建設に従事した。マラリアとアメーバ赤痢にかかり命の危機に瀕したが、これも生き延び、病状回復後は徴兵検査を受け陸軍二等兵として陸軍に入営。1947年に復員船で帰国後数年間は、故郷の大分や愛媛県野村町でアマチュア相撲のコーチをして暮らしていた。1950年のある日に入門時の師匠玉錦三右エ門の夢を見て角界への復帰を望み始めた矢先に、玉ノ海から破門の解除に伴い帰参を認める旨の連絡を受け、1950年5月場所より幕下格で帰参した。 後の大関・松登晟郎は幕下時代の1948年12月に家業の不振を気に病む余り実家に帰り髷を落としてしまった。しかし、師匠高登渉から説得され帰参を決意。それから半年後の1949年5月場所で新十両となったが、十両昇進当初はザンバラ頭で土俵に上がった。 後の関脇・岩風角太郎は三段目時代に同期生の栃光に大きく差を付けられ、廃業を決意し、床屋で髷を切った。その直後、実家に居たところを兄弟子に見つかり部屋に連れ戻され、師匠射水川健太郎に説得され廃業を撤回した。断髪後の場所には丸刈り頭で土俵に上がった。 後の前頭筆頭・淺瀬川健次は三段目時代に廃業を決意し、理容師見習の実弟に髷を切らせたが、若瀬川泰二(当時の年寄・浅香山)の説得を受け入れて帰参した。 1964年9月場所を新十両で迎えた八竜鉄右エ門は、場所前の稽古で下半身を故障させ、失意の余り廃業するつもりで自ら髷を切ってしまったが、帰参して新十両の場所は丸刈り頭で出場した。 後の関脇・麒麟児和春も幕下時代に生活態度を巡って兄弟子と口論になって反発した挙句に自ら髷を切って脱走したが、直後に師匠佐賀ノ花勝巳から寛容な態度で説得され、帰参して以降は熱心に稽古をするようになった。 後の小結・大豊昌央は三段目時代に右肩を負傷したり、体重の増加に苦心したりしたことで廃業を決心し実家に帰ったが、実父の説得を受け帰参した。その際に実父は大豊に反省の意を込めて髷を切るよう命令し、大豊もこれに同意したとされる。 1978年3月場所を東十両9枚目で迎えた元幕内・小沼克行は、場所前にかねてからの低迷を師匠柏戸剛に咎められたことを憤る余り自ら髷を切ってしまい、当場所をザンバラ髪で出場した。 後の幕内・力櫻猛は上述の失踪行為以前、幕下時代にも門限に遅れたことを師匠隆の里俊英に叱責され、反省の意を示すべく髷を切り落とした。 後の前頭筆頭・琴龍宏央も幕下時代の1993年5月場所で7戦全敗を喫した際に嫌気がさして自ら髷を切って脱走したが、後に帰参して現役を続けた。 後の十両・鶴ノ富士智万も三段目時代に体重の増加に苦心したことに嫌気がさして自ら髷を切って脱走したが、後に帰参して現役を続けた。
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