自主映画の製作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 03:18 UTC 版)
日本大学芸術学部放送学科に進学し、自主映画製作を開始する。自主制作の作品としては『映画』(1971年)、『遠近術』(1972年)、『水蒸気急行』(1976年)、『ライブイン茅ヶ崎』(1978年)があり、『ライブイン茅ヶ崎』は第2回自主製作映画展1978一般公募部門の入選作品に選ばれている。 その一方で、全共闘運動に参加するほか、落語研究会に所属(同研究会の先輩には、のちに放送作家となる高田文夫とプロの落語家となった古今亭右朝がいた)。 日芸を卒業してから、駅前の雑居ビルにある名画座でアルバイトしていたが、26歳の時に友人の紹介でひとつ年下の三沢和子とクリスマスの日にめぐり会う。その日のうちに離れがたい絆を感じ、1週間後には円山町の実家の料亭の空き部屋で同棲していた。いわば「直感婚」だった。軽井沢の教会で結婚式を挙げるのにかかった5万円の費用は森田が競馬で稼いだ。
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