脳の損傷と精神的変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 08:35 UTC 版)
「フィニアス・ゲージ」の記事における「脳の損傷と精神的変化」の解説
激しい脳損傷はしばしば死に至るが、ハーロウはゲージを「この事故のためのような男。身体も、意思も、忍耐力も凌駕できる者はほとんどいまい。」と呼び、また既に述べたように鉄の棒の1/4インチの先端が損傷を減弱させたと考えられる。 それにもかかわらず、破損された脳組織は、それが両方の前頭葉だったか左の前頭葉だったかという議論がゲージを診察した医師たちの最初の論文で起きたものの、堅固なものだったに違いない(最初の外傷のみならず、それに続く感染のことを考慮しても)。 ダマシオらによる1994年の研究(ゲージの頭蓋骨ではなく類似の症例のものをモデルとしている)では、両側の前頭葉に損傷があったと結論付けられたが、Ratiuらによる2004年の研究'(ゲージの実物の頭蓋骨のCTスキャンに基づいたもので、編集ビデオで突き棒が通過する様子を視聴できる)では、右脳半球は損なわれていなかったというハーロウの出した結論(ゲージの創傷部位を指で探ったことに基づく)が裏付けられている。 脳神経医のアントニオ・ダマシオ (en)は、前頭葉と情動と実際の意思決定との間の仮説上の連携を説明するのにゲージの例を用いている。しかしゲージを支持しようとするどの理論も、負傷の性質、程度、継続時間がゲージの精神状態にどれだけ影響したかがあまりに不明確であるという困難にぶつかる。そもそも、負傷前後のゲージがどういう状態であったかほとんど知られていない(当時の彼を直接表現した資料は無いに等しい)。ゲージの死後に記述された精神の変化は、彼が存命中になされた報告のいずれよりももっと劇的なものであり、信頼できるに足ると思われる記述であっても、彼の事故後の人生のどの時点に当てはまるのか明確にはしていない。 ハーロウは、ゲージの身体がほぼ回復し終えたころの1848年の論文で、生じうる心理的症状について暗示だけを述べている。「患者の心理状態の表出は、今後のコミュニケーションに委ねることとしよう。私は、この症例は、啓蒙された生理学者と聡明な哲学者にはとびきり関心を持ってもらえると考えている。」そして1849年の末に数週間にわたってゲージを診察したあと、ハーバード大学の外科教授であったヘンリー・ジェイコブ・ビグロー (en)は、ゲージが「身体と精神の機能においてはすっかり回復している」と言えるところまで行っているが、「機能のかなりの混沌がある」とした。 1868年になって初めて、ハーロウはこの症例の報告のほとんどにこんにち見られる(たいてい誇張されていたり歪曲されていたりはするが - 下記参照)精神的変化の詳細を明かした。記憶に残る言葉で、ハーロウは事故以前のゲージが勤勉で責任感があり、部下の者たちに「非常に好かれていて」、部下たちはゲージのことを「雇用主のうちでいちばん仕事ができて才能もある職長」と見做していたことを説明した。しかし、この同じ部下たちが、ゲージの事故の後では、「彼の精神の変化があまりにも激しくて、元の地位には戻せないと考えた」のだった。 彼の知的才覚と獣のような性癖との均衡というかバランスのようなものが、破壊されてしまったようだ。彼は気まぐれで、礼儀知らずで、ときにはきわめて冒涜的な言葉を口にして喜んだり(こんなことは以前の彼には無かった)、同僚にもほとんど敬意を示さず、彼の欲望に拮抗するような制御や忠告には我慢ができず、ときにはしつこいほどに頑固で、しかし気まぐれで移り気で、将来の操業についてたくさんの計画を発案するものの、準備すらしないうちに捨てられてほかのもっと実行できそうなものにとって代わられるのだった。知性と発言には子供っぽさが見られ、強い男の獣のような情熱を備えていた。事故以前は、学校で訓練を積んでいなかったものの、彼はよく釣合の採れた精神をもち、彼を知る者からは抜け目がなく賢い仕事人で、エネルギッシュで仕事をたゆみなく実行する人物として敬意を集めていた。この視点で見ると彼の精神はあまりにはっきりと根本から変化したため、彼の友人や知人からは「もはやゲージではない」と言ったほどであった。 利用できる数少ない一次資料のうちで、ハーロウが1868年にこの症例について発表したことは他よりも抜きん出て情報に富んでおり、日付についていくつか誤りはあるものの (下記参照)、基本的な信頼性を疑うような理由はない。上記の内容は、ハーロウがゲージに最後に会ってから20年が過ぎるまで出版されなかったが、ハーロウ自身が事故の直後に作成した記録を引用しているようである。しかし、ハーロウの記述するゲージのほかの振る舞いは、のちのちのゲージの友人や家族とのコミュニケーションに影響を及ぼしていたようであり、またこれらの様々な振る舞い(推定される機能損傷のレベルにより大きく異なる)を、個々の振る舞いがあったゲージの人生の時期に当てはめるのは難しい。このことは、それらの期間にゲージの状態がどうであったかを再構成することを困難にし、ゲージの晩年の行動が事故直後の数年間の物とは明らかに違っていたことを指摘する近年の調査(下記参照) によって改めて重要性を帯びることとなった問題となっている。
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