結成から最盛期とは? わかりやすく解説

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結成から最盛期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 19:03 UTC 版)

クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス」の記事における「結成から最盛期」の解説

フラワー・パワー、ヒッピー・カルチャーや社会背景公民権運動反戦運動)から、1966年以降顕著化したサンフランシスコのロック・ムーブメントで最初期から代表格一つだったが、大手レーベルとの契約遅かった前述麻薬違反からメンバーを欠く状態で不安定だったこと、それにまつわるマナー悪さ問題視され結果だった。当時暗喩的にドラッグ扱った曲が相次いで放送禁止処分になるなど、レコード会社にとって特にサンフランシスコ拠点活動するロックバンドとの契約リスク紙一重慎重だった流行サイケデリック・ロックマリファナ、LSDなどのドラッグによる擬似神秘体験表現する音楽)で、ステージ左利きのジョン・シポリナがフィードバックなど電気効果ヴォリュームトレモロ・アーム駆使するギブソン・SGギタークイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス人気確立する大手レコード会社とのレコーディング契約チャンス回ってきたのは、1967年モントレー・ポップ・フェスティバル出演よるものだった。このイベント機に時期前後するが、共演したジャニス・ジョプリンビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーがメインストリーム・レーベル(Mainstream Records・英語版)からコロムビア移籍マイク・ブルームフィールドらのエレクトリック・フラッグやモビー・グレープコロムビア契約しており、ビートルズ人気新規開拓積極的ではなかったため出遅れていたキャピトル・レコードが彼らとスティーヴ・ミラー・バンド選び出した同年スティーヴ・ミラー・バンドマザー・アース ( Mother Earth・英語版)らと映画レボリューション (Revolution ・英語版)』のサウンドトラック・レコーディングを行い(劇場公開サウンドトラック発売1968年発売レコード会社映画会社系列ユナイテッド・アーティスツ・レコード)、その直後という時期に、ジム・マレイがグループ去りハワイ移住してしまう。残る4人による活動1968年グループ名のみのタイトルファースト・アルバム発表アルバムは、エレクトリック・フラッグのニック・グラヴィナイツらの協力アドバイス仰ぎライブ演奏披露した長尺曲は短めに纏めて全体小ぢんまりとした印象内容だった。 全米グループ自身魅力告げるには翌1969年アルバム『ハッピー・トレイルズ』のリリース欠かせないこととなる。グレイトフル・デッドから移動用の録音装置アンペックス・8トラック・モービルを借り擬似ライブフィルモア、ウインターランドなどで録音)とスタジオで収録された。当時流行実験ロックにあってはギター声明LPレコードと言うべきもので、エレキ・インストロメンタルのザ・ベンチャーズイギリスシャドウズ等から電気ギター奏法応用したブルース・コードを中心に延々ギターかき鳴らす演奏録音嚆矢となった。それは後年言うところのジャングル・ビートが曲をつなぎ、ラストのカントリー・ソングまで物語作り出した異国情緒醸す独特なジョン・シポリナのエレクトリックギター奏法意外にも遠いトルコのギターキング、エルシン・コライErkin Koray英語版)がギブソン・SGギタートルコ独自のフォークロック表現実験音楽一環から土着民音楽取り入れた際に活かされた。 アルバム完成したもののバンド自体分裂し、ゲイリー・ダンカンはディノ・ヴァレンティと新しグループジ・アウトローズ結成のためバンド離れる。 3作目アルバム『シェイディ・グローヴ』を制作する。再びニック・グラヴィナイツが楽曲提供し、ニッキー・ホプキンス迎えて新たな展開を図る。1969年ライブ活動出演減らしダンカン、ヴァレンティが復帰しスタジオ・ワーク時間を割き、翌1970年に6人編成傑作アルバム『ただ愛のために』をリリース同年録音したアルバム『ホワット・アバウト・ミー』の頃にはホプキンスが、1971年に入るとジョン・シポリナも抜けてしまう。何度目かのドラッグ所持逮捕から脱退余儀なくされたフライバーグは復帰避けカントナー、グレイス・スリックらの末期ジェファーソン・エアプレインジェファーソン・スターシップ)に合流するバンド音楽志向活動方針固まっていなかった初期からメンバー信頼期待一身集めたディノ・ヴァレンティは、フラワー・ムーブメント賛歌一つだった「ゲット・トゥゲザー」(ヤングブラッズヒット)の作者として有能なソングライターだった。 詳細は「ゲット・トゥゲザー (1964年の曲)」を参照 バンドにとってこの楽曲制作者は、レーベル契約欠かせない存在だったが前述通り麻薬違反服役脱落残されメンバーライブ演奏活路を見いだして地元では絶大な人気獲得し、遅いレーベル契約経て全国的な名声博する成功勝ち取った。ヴァレンティの復帰バンド弱点だった楽曲制作者不在解消されたが皮肉にもメンバー間に不和もたらしてしまう。ヴァレンティの作る耽美的メロウな曲やラテン・ロック等のアプローチといった音楽指向は、1970年代以降ダンス音楽嗜好ロック・ミュージックからシンガーソングライター・ブームやAORブーム迎合到来のなか完成されてゆくもので、時流リズムずっしりしたギター楽曲ハードロックなど)にアイアン・バタフライなどが全盛時期では早すぎ場違いなのだったサンフランシスコ離れオリジナル・メンバーのジム・マレイが長期滞在サポート行いハワイ州オアフ島ハレイワスタジオでじっくりと録音作業進めた『ただ愛のために』は良作だったが、ライブ演奏で名を高めたクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス否定しかねない作品だった。

※この「結成から最盛期」の解説は、「クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス」の解説の一部です。
「結成から最盛期」を含む「クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス」の記事については、「クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス」の概要を参照ください。

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