第9の哨戒 1943年12月 - 1944年1月
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「グレイバック (SS-208)」の記事における「第9の哨戒 1943年12月 - 1944年1月」の解説
12月2日、グレイバックは9回目の哨戒で東シナ海に向かった。12月18日21時20分、グレイバックは北緯26度30分 東経128度19分 / 北緯26.500度 東経128.317度 / 26.500; 128.317の沖縄島東岸海域で第227船団を発見。まず輸送船玉嶺丸(東亜海運、5,588トン)に向けて魚雷を発射し命中。玉嶺丸は瞬時に沈没した。次いで対潜掃討に向かった駆逐艦沼風に対しても雷撃を行い撃沈した。雷撃後、グレイバックは浮上攻撃を仕掛け、他に何隻かの船に損傷を与えたと判断された。2日後の12月20日、グレイバックは名瀬を出航した沖903船団を発見し、夜間攻撃を期して追跡を開始した。翌21日1時38分の時点で、グレイバックの態勢は潜水艦の存在に気付いて避退し始めた沖903船団に対して艦尾を向けた形だったが、艦尾発射管から4本の魚雷を発射。次いで艦首発射管から5本の魚雷を発射した。最初の魚雷のうち2本が貨客船湖南丸(大阪商船、2,627トン)に命中し湖南丸は北緯30度26分 東経129度58分 / 北緯30.433度 東経129.967度 / 30.433; 129.967の地点で轟沈。湖南丸沈没を受けて特設捕獲網艇柏丸(宇和島運輸、515トン)が救助のために停止した。この頃にはグレイバックは潜航しており、6時4分、北緯30度27分 東経129度57分 / 北緯30.450度 東経129.950度 / 30.450; 129.950の地点で距離2,000メートルで魚雷を2本、柏丸に向けて発射。2本とも命中し、柏丸は船体の破片を飛散させながら一瞬で轟沈。一連の攻撃で湖南丸の船客は柏丸に一旦救助された者も含め83パーセントに相当する370人が死亡したと推定されており、その他乗員もほぼ全滅した。もう1隻の護衛艦である特設捕獲網艇第二新東丸(澤山汽船、540トン)が爆雷攻撃を実施したが、グレイバックになんら影響を与えなかった。グレイバックは第227船団に接触してからここまでの5日間でほとんどの魚雷を発射しており、翌日夜の雷撃で全ての魚雷を使い果たした。帰途の12月27日、グレイバックは北緯30度29分 東経159度25分 / 北緯30.483度 東経159.417度 / 30.483; 159.417の地点で漁船を浮上砲戦で破壊。1944年1月4日、グレイバックは33日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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「トートグ (潜水艦)」の記事における「第9の哨戒 1943年12月 - 1944年1月」の解説
12月12日、トートグは9回目の哨戒で日本近海に向かった。12月27日昼ごろ、トートグは北緯33度25分 東経135度40分 / 北緯33.417度 東経135.667度 / 33.417; 135.667の潮岬近海で元特設水上機母艦君川丸(川崎汽船、6,863トン)に対して魚雷を6本発射。うち1本が君川丸の船尾に命中して君川丸を航行不能とし、逸れた魚雷のうち1本が漁船に命中して破壊した。直後から護衛艦や水上偵察機がトートグを攻撃し、4時間にわたって合計99発もの爆雷を投下して制圧したが、トートグには被害がなかった。1944年1月3日、トートグは熊野川河口付近で貨物船済州丸(三光汽船、2,082トン)を発見し追跡。10時ごろに北緯33度44分 東経136度23分 / 北緯33.733度 東経136.383度 / 33.733; 136.383の三木崎沖に至ったところで魚雷を3本発射。潜望鏡を上げて観測するうちに1本が命中し、済州丸は爆発を起こし潜望鏡からの視界を妨げ、周囲が晴れたときにはすでに沈没していた。そのうち、高速のスクリュー音と哨戒機に打電する音が聞こえたので、トートグはこの海域を去った。翌1月4日、トートグはレーダーで目標を探知。良い攻撃態勢を取るべく追跡したのち、北緯34度10分 東経136度48分 / 北緯34.167度 東経136.800度 / 34.167; 136.800の志摩半島大王崎沖で目標に向けて魚雷を6本発射。うち4本が目標である輸送船宇佐丸(日本製鐵、3,943トン)に命中し、宇佐丸は船体を2つにして沈没していった。1月12日夜、トートグは大王崎近海で2隻の貨物船で構成された第7110船団を発見。護衛艦に制圧されつつも魚雷3本を発射し、1本が特設給兵船興業丸(岡田商船、6,353トン)に命中して中破させた。1月17日にも北緯32度56分 東経138度26分 / 北緯32.933度 東経138.433度 / 32.933; 138.433の地点で駆逐艦あるいは護衛艦に対して夜間レーダー攻撃を行い、最後に残った3本の魚雷を発射したが命中しなかった。トートグはこの哨戒で2隻9,700トン(戦後に6,000トン)の戦果を挙げた。1月30日、トートグは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投。潜水母艦ブッシュネル (USS Bushnell, AS-15) による整備を受けた。
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「スタージョン (潜水艦)」の記事における「第9の哨戒 1943年12月 - 1944年1月」の解説
12月13日、スタージョンは9回目の哨戒で日本近海に向かった。1944年1月11日、スタージョンは北緯32度31分 東経131度54分 / 北緯32.517度 東経131.900度 / 32.517; 131.900の足摺岬西南西海域で、佐伯からパラオに向かうオ105船団を発見。重なった目標を発見し4本の魚雷を発射、船団一番船の陸軍船えりゐ丸(南洋海運、5,493トン)を撃沈。爆雷攻撃を回避するため深深度に潜り、船団への再度の攻撃を行うことは出来なかった。オ105船団はすぐさま佐伯に引き返した。5日後の1月16日、スタージョンは北緯32度15分 東経132度29分 / 北緯32.250度 東経132.483度 / 32.250; 132.483の沖の島西方海域で、ウェーク島に対する第2次輸送作戦に従事中の特設巡洋艦赤城丸(日本郵船、7,389トン)と、護衛の駆逐艦初月と涼月を発見。各目標に対する4つの命中音を観測し、敵艦からの反撃で潜航を強いられ、18時55分に海域を離脱した。スタージョンが発射した魚雷は、2本が涼月の前部と後部に命中し、涼月は前部は60番フレームより前が火薬庫の誘爆により四散し、後部も118番フレームから後ろが大破切断され、駆逐隊司令、艦長以下戦死者多数を出した。涼月はこれほどの被害を受けたものの沈没せず、やがて宿毛湾、次いで呉海軍工廠に曳航されていった。1月24日には北緯32度39分 東経134度00分 / 北緯32.650度 東経134.000度 / 32.650; 134.000の地点でフ203船団を発見し、2度の攻撃を行う。最初の攻撃で敵艦に対して1発命中させ、2度目の攻撃では陸軍船朝鮮丸(大阪商船、3,110トン)を撃沈した。2日後、2隻の貨物船に対して攻撃を行うが戦果を挙げることは無かった。この時期、スタージョンや近海にいた僚艦の活躍は目覚しく、日本側は被害続出のため、パラオ行き船団のルートは豊後水道を通過する直行ルートを放棄し九州西岸や台湾を経由するルートへ変更するに至った。スタージョンは帰途、ミッドウェー島に寄港。2月6日、スタージョンは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投。修理を受けた。
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