第9の哨戒 1944年8月 - 10月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 14:54 UTC 版)
「ホエール (潜水艦)」の記事における「第9の哨戒 1944年8月 - 10月」の解説
8月21日、ホエールは9回目の哨戒でフィリピン方面に向かった。当時、ウィリアム・ハルゼー大将率いる第3艦隊がパラオ攻略作戦の援護を企図しており、ハルゼー大将はフィリピンからカロリン諸島までの広大な海域を潜水艦で哨戒することを望んでいた。ホエールはシーホース (USS Seahorse, SS-304) 、セグンド (USS Segundo, SS-398) とともにウルフパックを組み、9月3日にサイパン島に寄港した後、特設沿岸掃海艇ヒード (USS Heed, AMC-100) の護衛を受けつつ担当海域に向かった。9月6日、ホエール以下はサマール島沖でバーベロ (USS Barbero, SS-317) と会合した。ホエールは以後の8日間、修理や訓練、緊急潜航に費やした。ハルゼー大将はフィリピンとペリリューの間にホエールを含む10隻の潜水艦を、日本海軍が採用したような二重の散開線を構成して配備させた。この散開線は俗に「ハルゼーの動物園」(あるいは単に Zoo )と呼ばれたが効果は全くなく、以後の作戦で二度と採用されることはなかった。9月17日、ホエール以下のウルフパックは台湾の東南部に移動するよう指令を受け、9月20日に到着した。この後10月に入るまで、台湾の南端からルソン海峡、バシー海峡、バタン諸島で哨戒を行った。10月3日、ホエール以下はルソン海峡に西側に移動した。10月6日昼過ぎ、ホエール以下は北緯19度48分 東経118度22分 / 北緯19.800度 東経118.367度 / 19.800; 118.367の地点で門司からシンガポールに向かっていたヒ77船団を発見。ホエールは魚雷を6本発射し、タンカーあかね丸(石原汽船、10,241トン)に2本から5本を命中させ4分で撃沈した。シーホースも、あかね丸の遭難者を救助していた第21号海防艦を一撃で撃沈した。翌日、ホエールはこれまでのウルフパックを解散してアスプロ (USS Aspro, SS-309) 、カブリラ (USS Cabrilla, SS-288) と新しいウルフパックを編成して南西諸島で哨戒を行った。10月29日、ホエールは68日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
※この「第9の哨戒 1944年8月 - 10月」の解説は、「ホエール (潜水艦)」の解説の一部です。
「第9の哨戒 1944年8月 - 10月」を含む「ホエール (潜水艦)」の記事については、「ホエール (潜水艦)」の概要を参照ください。
第9の哨戒 1944年8月 - 10月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:25 UTC 版)
「バーブ (潜水艦)」の記事における「第9の哨戒 1944年8月 - 10月」の解説
8月4日、バーブは9回目の哨戒でタニー (USS Tunny, SS-282)、クイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393) とウルフパック "Ed's Eradicators"(エドのインク消し)を構成しルソン海峡方面に向かった。8月31日未明、クイーンフィッシュが輸送船団の発見を通報し、近くにいたパンパニト (USS Pampanito, SS-383)、シーライオン (USS Sealion, SS-315) およびグロウラー (USS Growler, SS-215) からなるウルフパック "Ben's Busters"(ベンの退治人たち) と連携して発見した輸送船団、ミ15船団の迎撃に向かう。バーブはすぐには攻撃に移らず魚雷の爆発音やタンカーの沈没を観測していたが、明け方になって射程内に目標が入ってきた。バーブは北緯21度14分 東経121度22分 / 北緯21.233度 東経121.367度 / 21.233; 121.367の地点で大型輸送船と中型タンカーに向けて魚雷を3本発射し、3つの爆発を確認して「大型輸送船撃沈、中型タンカー撃破」と判定される。この朝方の攻撃で輸送船大国丸(内外汽船、5,633トン)を撃沈した。午後に入り、台湾の方角に逃走するミ15船団を追撃し、夕刻になって9ノットで航行する2隻の小型輸送船と護衛艦を発見し、魚雷を3本発射して全て命中させて撃沈したと判定した。翌9月1日はレーダーで多くの航空機を探知し、夕刻になってタニーと会合するが、タニーは航空機の攻撃で損傷した事を報告。タニーは「エドのインク消し」から除外された。残ったバーブとクイーンフィッシュは哨戒を続行し、最先任艦長であるフラッキー艦長がウルフパックを指揮した。このころ、第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)が近いうちにフィリピン各地を爆撃する予定があったので、味方機が撃墜された際のパイロットの救助任務も付与された。9月4日午前には北緯21度05分 東経119度34分 / 北緯21.083度 東経119.567度 / 21.083; 119.567の地点でサンパンを浮上砲戦で撃沈した。9月9日未明、クイーンフィッシュがタマ25船団を発見し、バーブもタマ25船団に接近していく。クイーンフィッシュが2隻の輸送船、豊岡丸(鏑木汽船、7,097トン)と満州丸(日本海汽船、3,054トン)を撃沈する音を聴取した後、明け方近くになって北緯19度44分 東経120度37分 / 北緯19.733度 東経120.617度 / 19.733; 120.617の地点で護衛艦に対して魚雷を3本発射するが、命中した様子はなかった。9月12日から13日にかけて、バーブは東沙島南方の海域で「ベンの退治人たち」と会合し、パンパニトからヒ72船団攻撃の件でグロウラーの働きが大きかった事を聞かされる。翌9月14日未明には北緯20度56分 東経121度13分 / 北緯20.933度 東経121.217度 / 20.933; 121.217の地点で2隻の「千鳥型水雷艇」を発見し、魚雷を3本ずつ計6本発射したが命中せず、バーブは全速力で戦場から離れた。しかし、1隻の「千鳥型水雷艇」が追撃を開始し、バーブはクイーンフィッシュとともに潜航を余儀なくされた後、明け方になって「千鳥型水雷艇」に対して逆に魚雷を2本発射したが命中しなかった。 9月16日明け方、バーブとクイーンフィッシュは「地獄船」輸送船楽洋丸(南洋海運、9,418トン)から脱出した味方の捕虜を救援するよう命令を受け、全速力で現場に急行する。しかし、夜に入ってクイーンフィッシュがヒ74船団を探知し、彼我の態勢からヒ74船団への攻撃を先に行う事となった。クイーンフィッシュが先に攻撃を仕掛けていくつかの爆発を確認した後、バーブは浮上状態で23時前まで船団の右側から接近した。日付変わって9月17日0時34分、バーブは2隻のタンカーが一直線上に重なり合う位置から艦首発射管より魚雷を6本発射。この第一撃により、特設運送船(給油)あづさ丸(石原汽船、10,022トン)と空母雲鷹にそれぞれ2本ずつ命中し、あづさ丸は大火災が発生した。雲鷹はあづさ丸被雷を見て取り舵に避けたものの、魚雷2本が右舷の機関室と舵取室に命中、航行不能に陥った。バーブは高速で反転し、艦尾発射管からの魚雷を発射しようとしたが、その時、バーブに気づいた海防艦1隻が高角砲と機銃を発射しつつバーブに突進。海防艦は750ヤード(約686メートル)にまで接近してきた。フラッキー艦長は急速潜航を下令して深々度に避退、直後に海防艦がバーブの真上を通過した。あづさ丸は0時50分に沈没し、雲鷹は応急修理を実施したものの浸水が甚だしく、7時30分頃についに沈没した。沈没位置はともに北緯19度15分 東経116度33分 / 北緯19.250度 東経116.550度 / 19.250; 116.550であった。攻撃後、バーブとクイーンフィッシュは「本来の任務」であった捕虜救援任務に戻り、パンパニト、シーライオンとともに漂流する多くの捕虜を救助した。10月3日、バーブは59日間の行動を終えてマジュロに帰投した。
※この「第9の哨戒 1944年8月 - 10月」の解説は、「バーブ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第9の哨戒 1944年8月 - 10月」を含む「バーブ (潜水艦)」の記事については、「バーブ (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第9の哨戒 1944年8月 - 10月のページへのリンク