第9の哨戒 1944年10月 - 12月
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「サンフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第9の哨戒 1944年10月 - 12月」の解説
10月23日、サンフィッシュは9回目の哨戒でピート (USS Peto, SS-265) 、スペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) とウルフパックを構成し黄海方面に向かった。11月17日午後、サンフィッシュはの済州島西方150キロの地点でミ27船団を発見する。ミ27船団の進む航路はすでにヒ81船団が先行しており、ヒ81船団はスペードフィッシュと、別のウルフパックのクイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393) およびピクーダ (USS Picuda, SS-382) からの攻撃にさらされていた。ゆえに、ヒ81船団攻撃で接近した潜水艦の一部は、後続のミ27船団にも食いつく結果となった。夕暮れ時になって、先頭と二番目の輸送船に対して魚雷を3本ずつ発射したが、何ら変化が見られず逆に23発の爆雷攻撃に見舞われ、いったんミ27船団を見失ってしまった。浮上して約4時間後にミ27船団に追いつき、北緯33度35分 東経124度42分 / 北緯33.583度 東経124.700度 / 33.583; 124.700の地点での二度目の攻撃で再び先頭の輸送船と二番船に対して魚雷を3本ずつ発射、魚雷は2本から3本が目標に命中したとみられた。日付が11月18日なってから三度目の攻撃で20ミリ機銃を撃ちつつ、小型輸送船に対して魚雷を3本発射したが、この攻撃は成功しなかった。3時間後、サンフィッシュは四度目の攻撃を仕掛け、魚雷を3本発射。魚雷は1本目と3本目が目標に命中したのが確認された。ミ27船団に対する一連の攻撃で、サンフィッシュは2隻の輸送船、盛祥丸(東和汽船、5,463トン)と江戸川丸(日本郵船、6,968トン)の撃沈が認定された。日本側記録では、二番目と四番目の攻撃で盛祥丸が沈没し、同じく二番目の攻撃で江戸川丸が被雷したと記す。また、ミ27船団には空母はいなかったが、サンフィッシュは船団中に「大鷹型航空母艦のような艦船」を発見し、そのスケッチを残している。11月30日午後には、北緯38度08分 東経124度35分 / 北緯38.133度 東経124.583度 / 38.133; 124.583の地点で2つの目標を発見し、魚雷を5本発射。魚雷は貨客船大連丸(大連汽船、3,748トン)に1本が命中してこれを撃沈した。12月19日、サンフィッシュは56日間の行動を終えてマジュロに帰投した。
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