第9の哨戒 1944年10月 - 12月とは? わかりやすく解説

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第9の哨戒 1944年10月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:34 UTC 版)

サンフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第9の哨戒 1944年10月 - 12月」の解説

10月23日サンフィッシュ9回目哨戒ピート (USS Peto, SS-265) 、スペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) とウルフパック構成し黄海方面向かった11月17日午後サンフィッシュはの済州島西方150キロ地点でミ27船団発見する。ミ27船団の進む航路はすでにヒ81船団先行しており、ヒ81船団スペードフィッシュと、別のウルフパッククイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393) およびピクーダ (USS Picuda, SS-382) からの攻撃さらされていた。ゆえに、ヒ81船団攻撃接近した潜水艦一部は、後続のミ27船団にも食いつく結果となった夕暮れ時になって、先頭二番目輸送船に対して魚雷3本ずつ発射したが、何ら変化見られ逆に23発の爆雷攻撃見舞われ、いったんミ27船団見失ってしまった。浮上して4時間後にミ27船団追いつき、北緯3335東経12442分 / 北緯33.583度 東経124.700度 / 33.583; 124.700の地点での二度目攻撃で再び先頭輸送船二番に対して魚雷3本ずつ発射魚雷は2本から3本目標命中したとみられた。日付11月18日なってから三度目攻撃20ミリ機銃撃ちつつ、小型輸送船に対して魚雷3本発射したが、この攻撃成功しなかった。3時間後、サンフィッシュ四度目の攻撃仕掛け魚雷3本発射魚雷1本目3本目が目標命中したのが確認された。ミ27船団対す一連の攻撃で、サンフィッシュは2隻の輸送船、盛祥丸(東和汽船、5,463トン)と江戸川丸(日本郵船、6,968トン)の撃沈認定された。日本記録では、二番目四番目の攻撃で盛祥丸が沈没し同じく二番目攻撃江戸川丸が被雷したと記す。また、27船団には空母はいなかったが、サンフィッシュ船団中に大鷹型航空母艦のような艦船」を発見し、そのスケッチ残している。11月30日午後には、北緯38度08東経12435分 / 北緯38.133度 東経124.583度 / 38.133; 124.583の地点2つ目標発見し魚雷を5本発射魚雷貨客船大連丸(大連汽船、3,748トン)に1本が命中してこれを撃沈した12月19日サンフィッシュ56日間行動終えてマジュロ帰投した。

※この「第9の哨戒 1944年10月 - 12月」の解説は、「サンフィッシュ (潜水艦)」の解説の一部です。
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