第9の哨戒 1945年5月 - 7月・バーニー作戦とは? わかりやすく解説

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第9の哨戒 1945年5月 - 7月・バーニー作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:06 UTC 版)

ボーフィン (潜水艦)」の記事における「第9の哨戒 1945年5月 - 7月・バーニー作戦」の解説

5月29日ボーフィン9回目哨戒バーニー作戦参加して日本海向かった。このバーニー作戦は、この時点日本残されたほぼ唯一の重要航路打撃与えるものであり、対馬海峡機雷原突破日本海悠然と航行する日本船は、目標減少嘆いていた潜水艦部隊にとっては絶好スリルであり獲物であった。この作戦には9隻の潜水艦投入され「ヘルキャッツ」 Hellcats と命名された。各潜水艦は三群に分けられシードッグ (USS Sea Dog, SS-401) のアール・T・ハイデマン(アナポリス1932年組)が総司令となったボーフィンフライングフィッシュ (USS Flying Fish, SS-229) 、ティノサ (USS Tinosa, SS-283) と共にウルフパック「リッサーズ・ボブキャッツ」Risser's Bobcats を組み第一陣「ハイデマンズ・ヘップキャッツ」 Hydeman's Hep Cats5月27日出撃してから48時間後に出航し対馬海峡進出したリレー式に対馬海峡突破したシードッグ以下の潜水艦は三群それぞれの担当海域向かい6月9日日の出時の攻撃開始待った。「リッサーズ・ボブキャッツ」は朝鮮半島東岸進出した6月11日ボーフィン元山沖で第三信洋丸(大光商船、1,899トン)を発見し魚雷を4本発射して命中させて撃沈した2日後6月13日には、興南沖で明浦丸(大東商船、887トン)を撃沈したボーフィン僚艦とともに6月24日夜に宗谷海峡西側到着6月19日富山湾討ち取られたボーンフィッシュ (USS Bonefish, SS-223) 以外のシードッグ以下の各潜水艦は翌25日正午濃霧の中を二列縦陣浮上航行海峡通過しオホーツク海入った7月4日アメリカ独立記念日ボーフィン37日間行動終えて真珠湾帰投した。 この後ボーフィン8月上旬10回目哨戒準備のためマリアナ諸島進出すべく真珠湾出航したが、途中で日本の降伏迎えたため反転して真珠湾戻った8月29日真珠湾離れて東海岸向かい9月21日ニューヨーク州のトンプキンズヴィル(英語版)に到着した

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第9の哨戒 1945年5月 - 7月・バーニー作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:28 UTC 版)

タニー (潜水艦)」の記事における「第9の哨戒 1945年5月 - 7月・バーニー作戦」の解説

5月28日タニー9回目哨戒バーニー作戦参加して日本海向かった。このバーニー作戦は、この時点日本残されたほぼ唯一の重要航路打撃与えるものであり、対馬海峡機雷原突破日本海悠然と航行する日本船は、目標減少嘆いていた潜水艦部隊にとっては絶好スリルであり獲物であった。この作戦には9隻の潜水艦投入され "Hellcats" (ヘルキャッツ) と命名された。各潜水艦は三群に分けられシードッグ (USS Sea Dog, SS-401) のアール・T・ハイデマン少佐アナポリス1932年組)が総司令となったタニーはボーンフィッシュ (USS Bonefish, SS-223) およびスケート (USS Skate, SS-305) と共にウルフパック Pierce's Polecats (ピアースズ・ポールキャッツ) を組み第一陣 Hydeman's Hep Cats (ハイデマンズ・ヘップキャッツ)が5月27日出撃してから24時間後に出航し対馬海峡進出した6月2日南西諸島通過し6月5日対馬西水道機雷原をも易々と乗り越えたリレー式に対馬海峡突破したシードッグ以下の潜水艦は三群それぞれの担当海域向かい6月9日日の出時の攻撃開始待った。「ピアースズ・ポールキャッツ」は能登半島以西沿岸部進出した作戦初日9日夜、タニー北緯3622東経13419分 / 北緯36.367度 東経134.317度 / 36.367; 134.317の若狭湾近海で2,000トン輸送船向けて魚雷3本発射したが、1本が命中したものの不発終わったタニー沿岸部の港をしらみつぶし偵察し6月12日真夜中に恵曇港まで7.3キロ地点接近して魚雷発射しようとしたが、発射して防波堤命中するだけだと判断され偵察のみにとどめたまた、十六島湾口から5キロ地点接近したが、日本側のサーチライトタニーのいるあたりを照らしたため、タニーはあっさりとその場離脱した6月16日タニー北緯38度40東経135度24分 / 北緯38.667度 東経135.400度 / 38.667; 135.400の丹後半島沖合いでボーンフィッシュと会合。ボーンフィッシュから戦果報告受けたまた、日本人生存者乗っている多数のいかだを発見した2日後北緯38度15分 東経13624分 / 北緯38.250度 東経136.400度 / 38.250; 136.400の地点で再びボーンフィッシュと会合し、ボーンフィッシュに富山湾潜入許可与え、ボーンフィッシュはタニー別れた。これが、アメリカ側がボーンフィッシュを見た最後であったこの前後に対潜攻撃受けたがうまく避けた6月19日には北緯3615分 東経13603分 / 北緯36.250度 東経136.050度 / 36.250; 136.050の地点で4,000トン輸送船発見して魚雷を4本発射したが、浅瀬でうまく攻撃できず結局取り逃がした結局バーニー作戦参加潜水艦中、雑魚すら得られなかったのはタニーだけであった6月23日利尻島沖で集結した潜水艦中にボーンフィッシュがいないことに気づきタニー先任艦の務めとして幾度と無くボーンフィッシュとの交信試みた徒労終わった。ボーンフィッシュは6月19日富山湾撃沈されていた。7月6日タニー49日間の行動終えて真珠湾帰投した。 終戦真珠湾迎えたタニー西海岸向かい1945年12月13日退役したタニーは第19艦隊メア・アイランド・グループで保管される

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