第9の哨戒 1944年3月 - 5月とは? わかりやすく解説

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第9の哨戒 1944年3月 - 5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/21 04:48 UTC 版)

ハリバット (潜水艦)」の記事における「第9の哨戒 1944年3月 - 5月」の解説

3月21日ハリバット9回目哨戒南西諸島方面向かった4月12日未明ハリバット北緯2808東経12857分 / 北緯28.133度 東経128.950度 / 28.133; 128.950の奄美大島徳之島を結ぶ海域護衛艦3隻と貨客船および輸送船からなる鹿児島から那覇向かっていた鹿004船団発見したハリバット魚雷3本発射し、やがて閃光望見された。魚雷貨客船台中丸大阪商船、3,213トン)に命中してこれを撃沈した。3隻の護衛艦18発の爆雷投下し気泡噴出見て撃沈確実」と判断したが、実際にハリバット被害はなかった。4月27日未明には、沖縄島北北東海域門司向かっていた沖609船団発見し3時至り北緯2703東経12806分 / 北緯27.050度 東経128.100度 / 27.050; 128.100の伊平屋島東沖で2つ目標に対して魚雷3本ずつ計6本発射し、やがて魚雷命中閃光見えた最初の攻撃を受け、敷設艇反撃爆雷攻撃開始する。約1時間後、船団から遅れていた輸送船玄武丸(日本郵船、1,872トンに対して魚雷3本発射し、うち2本命中させて撃沈した。9時過ぎには三度目攻撃魚雷を4本発射し、うち2本が命中して撃沈した。やがて航空機飛来し潜航中のハリバット攻撃してきたので、ハリバット深深度に避退ていった航空機と2隻の護衛艦から実に90発もの爆雷投下されたものの、ハリバットその場難なく立ち去った4月29日夕刻には久米島沖浮上して久米島陸上施設対し4インチ砲による艦砲射撃行い倉庫建物破壊した5月3日午後には、北緯2730東経12845分 / 北緯27.500度 東経128.750度 / 27.500; 128.750の地点で「18隻の貨物サンパン艦隊」、実際に南方行き機帆船団に遭遇。2隻の250トン級のサンパン炎上させたり破壊したが、攻撃中にハリバット乗組員3名が負傷した。この攻撃により機帆船第五昇運丸が沈没した5月11日ミッドウェー島寄港し負傷者オークランド海軍病院搬送されていった5月15日ハリバット58日間行動終えて真珠湾帰投サンフランシスコ回航され、ベスレヘム・スチールオーバーホール入ったオーバーホール終わったハリバット9月20日真珠湾戻りマーク18電池魚雷英語版)を搭載した

※この「第9の哨戒 1944年3月 - 5月」の解説は、「ハリバット (潜水艦)」の解説の一部です。
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