第9の哨戒 1944年3月 - 5月
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「ハリバット (潜水艦)」の記事における「第9の哨戒 1944年3月 - 5月」の解説
3月21日、ハリバットは9回目の哨戒で南西諸島方面へ向かった。4月12日未明、ハリバットは北緯28度08分 東経128度57分 / 北緯28.133度 東経128.950度 / 28.133; 128.950の奄美大島と徳之島を結ぶ海域で護衛艦3隻と貨客船および輸送船からなる、鹿児島から那覇に向かっていた鹿004船団を発見した。ハリバットは魚雷を3本発射し、やがて閃光が望見された。魚雷は貨客船台中丸(大阪商船、3,213トン)に命中してこれを撃沈した。3隻の護衛艦が18発の爆雷を投下し、気泡の噴出を見て「撃沈確実」と判断したが、実際にはハリバットに被害はなかった。4月27日未明には、沖縄島北北東の海域で門司に向かっていた沖609船団を発見し、3時に至り北緯27度03分 東経128度06分 / 北緯27.050度 東経128.100度 / 27.050; 128.100の伊平屋島東沖で2つの目標に対して魚雷を3本ずつ計6本発射し、やがて魚雷命中の閃光が見えた。最初の攻撃を受け、敷設艇鴎は反撃の爆雷攻撃を開始する。約1時間後、船団から遅れていた輸送船玄武丸(日本郵船、1,872トン)に対して魚雷を3本発射し、うち2本命中させて撃沈した。9時過ぎには三度目の攻撃で魚雷を4本発射し、うち2本が鴎に命中して鴎を撃沈した。やがて航空機が飛来し、潜航中のハリバットを攻撃してきたので、ハリバットは深深度に避退していった。航空機と2隻の護衛艦から実に90発もの爆雷を投下されたものの、ハリバットはその場を難なく立ち去った。4月29日夕刻には久米島沖に浮上して、久米島の陸上施設に対し4インチ砲による艦砲射撃を行い、倉庫や建物を破壊した。5月3日午後には、北緯27度30分 東経128度45分 / 北緯27.500度 東経128.750度 / 27.500; 128.750の地点で「18隻の貨物サンパンの艦隊」、実際には南方行きの機帆船団に遭遇。2隻の250トン級のサンパンを炎上させたり破壊したが、攻撃中にハリバットの乗組員3名が負傷した。この攻撃により機帆船第五昇運丸が沈没した。5月11日にミッドウェー島に寄港し、負傷者はオークランドの海軍病院に搬送されていった。5月15日、ハリバットは58日間の行動を終えて真珠湾に帰投。サンフランシスコに回航され、ベスレヘム・スチールでオーバーホールに入った。オーバーホールが終わったハリバットは9月20日に真珠湾に戻り、マーク18型電池魚雷(英語版)を搭載した。
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