第9の哨戒 1943年5月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第9の哨戒 1943年5月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 16:48 UTC 版)

トラウト (SS-202)」の記事における「第9の哨戒 1943年5月 - 7月」の解説

5月27日トラウト9回目哨戒フィリピン方面向かった。この哨戒では、ミンダナオ島物資陸軍要員輸送する任務与えられていた。6月9日トラウト輸送船に対して魚雷3本発射した命中しなかった。6月12日トラウトミンダナオ島サンボアンガ・デル・スル州パガディアン湾に入りJ・Aハマー大尉以下5名の陸軍要員と8,000発に及ぶ弾薬陸揚げした作業終了後スールー海方面向かったトラウトは、6月15日北緯0458東経11837分 / 北緯4.967度 東経118.617度 / 4.967; 118.617の地点特設運送船給油三楽丸拿捕船、大阪商船委託、3,000トン)に向けて魚雷3本発射。うち2本が前部後部命中し船体分断された。三楽丸曳航されたものの、翌16日沈没した6月26日には3隻の沿岸汽船発見しそのうちの2隻を砲撃撃沈した7月1日トラウト北緯13度40東経12150分 / 北緯13.667度 東経121.833度 / 13.667; 121.833の地点陸軍五十鈴丸日之出汽船、2,866トン)に対し魚雷を4本発射し命中させて撃沈した7月9日には再びパラディアン湾に入りチャールズ・「チックパーソンズ中尉ウィリアム・E・ダイス英語版大佐引き取った7月20日トラウト59日間行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第9の哨戒 1943年5月 - 7月」の解説は、「トラウト (SS-202)」の解説の一部です。
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