第9の哨戒 1944年1月 - 9月
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「タンバー (潜水艦)」の記事における「第9の哨戒 1944年1月 - 9月」の解説
1944年1月5日、タンバーは9回目の哨戒で東シナ海に向かった。1月22日、タンバーは北緯27度00分 東経136度16分 / 北緯27.000度 東経136.267度 / 27.000; 136.267の地点で駆逐艦を従えた名取型軽巡洋艦と思われる艦艇を発見したが、スコールでそれを見失った。6日後の1月28日、タンバーは北進する9隻の輸送船団を探知し追跡した。翌1月29日2時ごろ、タンバーは浮上したまま魚雷を2本発射。魚雷は輸送船春泰丸(大同海運、2,254トン)に2本とも命中し、春泰丸は北緯27度50分 東経128度48分 / 北緯27.833度 東経128.800度 / 27.833; 128.800の地点で沈没していった。1隻の護衛艦がタンバーめがけて突進し、タンバーは後部の20ミリ機銃で応戦。護衛艦の体当たりを阻止して追い払ったあと、輸送船団をさらに追跡しようとしたが、すでに去ってしまった後だった。2月2日、タンバーはヒ30船団に属する2隻の船を発見し追跡した。翌2月3日の夜明けごろ、タンバーは北緯28度30分 東経124度04分 / 北緯28.500度 東経124.067度 / 28.500; 124.067の地点で船団に対して攻撃を開始。まず応急タンカー五洋丸(五洋商船、8,469トン)に向けて魚雷を2本発射。魚雷は五洋丸の中央部に2本とも命中し、五洋丸を航行不能に陥らせた。続いてタンカーありあけ丸(日本海運、5,149トン)と護衛の海防艦佐渡に対して魚雷を2本ずつ発射。ありあけ丸に向けた魚雷は命中し、ありあけ丸は沈没。佐渡に向かった魚雷は命中せず、佐渡は4時18分ごろから14時30分ごろまで爆雷攻撃を行った。この爆雷攻撃でタンバーは80メートルの深度まで吹き飛ばされ、通風が悪くなり一部浸水も見たが、海面に出た油紋を見た佐渡が「撃沈確実」と判断して引き揚げていったため、それ以上のダメージはなかった。航行不能の五洋丸は、2月4日か5日ごろに荒天で沈没した。10日後の2月12日、タンバーは北緯27度44分 東経128度42分 / 北緯27.733度 東経128.700度 / 27.733; 128.700の徳之島近海でタモ02船団を発見。夜になって浮上攻撃を行い、応急タンカー崙山丸(大連汽船、2,735トン)に対して魚雷を3本発射。潜航しかけたとき、1本が崙山丸に命中し撃沈したのを確認した。タンバーはこの哨戒で4隻18,400トンの戦果を挙げ、目覚しい成功を収めた。3月5日、タンバーは60日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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