第9の哨戒 1944年1月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第9の哨戒 1944年1月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:34 UTC 版)

タンバー (潜水艦)」の記事における「第9の哨戒 1944年1月 - 9月」の解説

1944年1月5日タンバー9回目哨戒東シナ海向かった1月22日タンバー北緯2700東経13616分 / 北緯27.000度 東経136.267度 / 27.000; 136.267の地点駆逐艦従えた名取軽巡洋艦思われる艦艇発見したが、スコールでそれを見失った6日後の1月28日タンバー北進する9隻の輸送船団探知し追跡した。翌1月29日2時ごろ、タンバー浮上したまま魚雷を2本発射魚雷輸送船春泰丸(大同海運、2,254トン)に2本とも命中し、春泰丸は北緯2750東経12848分 / 北緯27.833度 東経128.800度 / 27.833; 128.800の地点沈没していった。1隻の護衛艦タンバーめがけて突進しタンバー後部20ミリ機銃応戦護衛艦体当たり阻止して追い払ったあと、輸送船団をさらに追跡しようとしたが、すでに去ってしまった後だった。2月2日タンバーヒ30船団属する2隻の船を発見し追跡した。翌2月3日夜明けごろ、タンバー北緯2830東経12404分 / 北緯28.500度 東経124.067度 / 28.500; 124.067の地点船団に対して攻撃開始。まず応急タンカー五洋丸(五洋商船、8,469トン)に向けて魚雷を2本発射魚雷は五洋丸の中央部に2本とも命中し、五洋丸を航行不能に陥らせた。続いてタンカーありあけ丸(日本海運、5,149トン)と護衛海防艦佐渡に対して魚雷を2本ずつ発射ありあけ丸に向けた魚雷命中しありあけ丸は沈没佐渡向かった魚雷命中せず佐渡4時18分ごろから14時30分ごろまで爆雷攻撃行った。この爆雷攻撃タンバー80メートル深度まで吹き飛ばされ通風悪くなり一部浸水見たが、海面出た油紋を見た佐渡が「撃沈確実」と判断して引き揚げていったため、それ以上ダメージはなかった。航行不能の五洋丸は、2月4日5日ごろに荒天沈没した10日後の2月12日タンバー北緯2744東経12842分 / 北緯27.733度 東経128.700度 / 27.733; 128.700の徳之島近海タモ02船団発見夜になって浮上攻撃行い応急タンカー崙山丸(大連汽船、2,735トンに対して魚雷3本発射潜航しかけたとき、1本が崙山丸に命中し撃沈したのを確認したタンバーはこの哨戒で4隻18,400トン戦果挙げ目覚しい成功収めた3月5日タンバー60日間行動終えて真珠湾帰投した。

※この「第9の哨戒 1944年1月 - 9月」の解説は、「タンバー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第9の哨戒 1944年1月 - 9月」を含む「タンバー (潜水艦)」の記事については、「タンバー (潜水艦)」の概要を参照ください。

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