第8、第9の哨戒 1943年12月 - 1944年5月
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「グリーンリング (潜水艦)」の記事における「第8、第9の哨戒 1943年12月 - 1944年5月」の解説
12月20日、グリーンリングは8回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。12月31日、グリーンリングは北緯05度18分 東経160度16分 / 北緯5.300度 東経160.267度 / 5.300; 160.267のポンペイ島南方海域で、クェゼリン環礁に向かっていた第3128船団を発見し、夜間攻撃で特設運送船昌宝丸(三井船舶、1,936トン)を撃沈した。攻撃後、護衛の第30号駆潜艇からの爆雷攻撃を受けたが、さしたる損害もなく切り抜けた。その後、1944年1月23日にはウェーク島を偵察した。1月28日、グリーンリングは39日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。次期哨戒までの間、グリーンリングはハリバット (USS Halibut, SS-232) と訓練に出た際、悪天候により艦体を損傷し修理を受けた。 3月20日、グリーンリングは9回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。この方面には大規模な反攻作戦が計画されており、特にグアム島、テニアン島、サイパン島の偵察を命じられていた。グリーンリングは4月2日から30日の間に任務を無事こなし、その偵察成果は他の成果とともにサイパンの戦いなどの本番に生かされる事となった。5月12日、グリーンリングは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がジャック・D・ガーウィック少佐(アナポリス1935年組)に代わった。
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第8、第9の哨戒 1943年12月 - 1944年5月
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「ハダック (潜水艦)」の記事における「第8、第9の哨戒 1943年12月 - 1944年5月」の解説
12月14日、ハダックは8回目の哨戒でハリバット (USS Halibut, SS-232) 、タリビー (USS Tullibee, SS-284) と共にウルフパックを構成し、マリアナ諸島方面に向かった。3隻は12月17日に合流。1944年1月19日、ハダック以下3隻はサイパン島東方沖を航行中、「トラックから空母が出てくるので迎撃せよ」との命令を受信し、空母が通るであろう海域に急行した。その時、ハダックは潜望鏡を揚げて観測していたところ、距離18,000メートルで空母雲鷹と瑞鳳を発見し、攻撃態勢に入った。北緯12度50分 東経146度23分 / 北緯12.833度 東経146.383度 / 12.833; 146.383の地点に至り、雲鷹との距離が2,000メートルを切った所で魚雷を6本発射し、うち2本が雲鷹の前部船体に命中して前甲板が垂れ下がる被害を受けた。ローチ艦長は、目標は翔鶴であると思っていた。その後は雲鷹捜索のため、サイパン島沖に向かったハリバットとは別れ、タリビーとともにグアム沖で哨戒を行った。2月5日、ハダックは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 3月10日、ハダックは9回目の哨戒で日本近海に向かった。3月29日に北緯37度50分 東経135度42分 / 北緯37.833度 東経135.700度 / 37.833; 135.700の地点で病院船高砂丸(大阪商船、9,347トン)を確認した後、4月24日未明に北緯26度43分 東経130度35分 / 北緯26.717度 東経130.583度 / 26.717; 130.583の地点で大東諸島へ向かう陸軍部隊が分乗する漁船群と護衛艦を発見して魚雷を2本ずつ発射し、うち1本が特設駆潜艇陵水丸(日本海洋漁業、99トン)に命中してこれを撃沈した。5月10日、ハダックは62日間の行動を終えて真珠湾に帰投。ハンターズ・ポイント海軍造船所に回航されてオーバーホールに入り、オーバーホールを終えたハダックは、9月22日に真珠湾に戻った。
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