第8、第9、第10の哨戒 1943年4月 - 9月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/06 11:07 UTC 版)
「シーウルフ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第8、第9、第10の哨戒 1943年4月 - 9月」の解説
4月3日、シーウルフは8回目の哨戒で東シナ海に向かった。4月15日、シーウルフは北緯21度13分 東経152度24分 / 北緯21.217度 東経152.400度 / 21.217; 152.400の小笠原諸島近海で輸送船団を発見し、4度の攻撃の末に特設運送船海平丸(嶋谷汽船、4,575トン)を撃沈。4月23日朝には北緯23度48分 東経122度42分 / 北緯23.800度 東経122.700度 / 23.800; 122.700の地点で、4月16日に石垣島近海で爆発して大破し漂流していた海軍徴傭船第二日新丸(西大洋漁業、17,752トン)の警戒に当たっていた第39号哨戒艇を撃沈。最後に残った魚雷を第二日新丸に向けて発射し、命中はしたものの不発だった。また、4月20日に北緯25度37分 東経135度42分 / 北緯25.617度 東経135.700度 / 25.617; 135.700の地点で75トン級サンパンを、4月26日には北緯28度11分 東経137度43分 / 北緯28.183度 東経137.717度 / 28.183; 137.717の地点で再び75トン級サンパンをそれぞれ3インチ砲で撃破した。5月3日、シーウルフは30日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 5月17日、シーウルフは9回目の哨戒で東シナ海に向かった。台湾から長崎港までの間を哨戒し、いくつかの輸送船団に遭遇する。6月5日には北緯30度52分 東経125度29分 / 北緯30.867度 東経125.483度 / 30.867; 125.483の地点で、12隻の輸送船から成る第268船団を発見。魚雷を4本発射し、陸軍輸送船対馬丸(日本郵船、6,754トン)に1本が命中したものの不発に終わり、シーウルフは浮上して脱出を図った。船団を護衛していた第36号哨戒艇に追撃されたが、何とか振り切った。二週間後の6月20日、シーウルフは北緯24度32分 東経118度53分 / 北緯24.533度 東経118.883度 / 24.533; 118.883の福建省泉州沖でジャンクの大群の中に入り込み、4隻の輸送船団に対してジャンク群の中から魚雷を発射。1本が輸送船昌仁丸(石原汽船、4,739トン)の船尾に命中し、およそ9分で沈没した。他の魚雷は別の輸送船に向かったが回避された。シーウルフは7月8日にミッドウェー島に寄港。7月12日、シーウルフは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 8月14日、シーウルフは10回目の哨戒で東シナ海に向かった。8月31日、シーウルフは北緯28度34分 東経123度05分 / 北緯28.567度 東経123.083度 / 28.567; 123.083の地点で第297船団を発見。船団の左前方に位置して雷撃し、2隻の輸送船、国光丸(国際汽船、5,486トン)と松東丸(松岡汽船、5,253トン)を撃沈した。シーウルフは昼夜を問わず第297船団の追跡を続け、翌9月1日昼ごろに2度目の攻撃で2隻の輸送船に対して雷撃したが、いずれも回避された。日没後、シーウルフは北緯31度27分 東経127度28分 / 北緯31.450度 東経127.467度 / 31.450; 127.467の草垣群島近海で3度目の攻撃を敢行。陸軍船富生丸(拿捕船、2,256トン)に魚雷を命中させ、他の輸送船にも魚雷を命中させたが、こちらは不発であった。さらなる目標に対しても魚雷を発射したが、回避された。シーウルフは最後に浮上し砲撃で富生丸を撃沈した。この哨戒も、魚雷を全て消費したため予定より早く終了した。この哨戒では合計12,996トンの船舶を沈めた。それに加えて、9月5日には北緯29度48分 東経140度20分 / 北緯29.800度 東経140.333度 / 29.800; 140.333の地点で2隻の75トンのサンパンを艦砲で破壊した。9月15日、シーウルフは32日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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