第8、第9の哨戒 1943年10月 - 1944年4月
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「スナッパー (潜水艦)」の記事における「第8、第9の哨戒 1943年10月 - 1944年4月」の解説
10月19日、スナッパーは8回目の哨戒で日本近海に向かった。11月29日、この日は荒天であったがスナッパーは八丈島東北東海域で横須賀からトラックに向かう、5隻の輸送船を中心とした第3128船団を発見。射程距離に接近し、魚雷を3本発射。そのうちの2本が特設運送船乾隆丸(乾汽船、4,575トン)に命中し、乾隆丸は炎上して沈没した。12月14日、スナッパーは56日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。この後、スナッパーは真珠湾に回航されて修理を受けた。艦長がウィリアム・W・ウォーカー少佐(アナポリス1934年組)に代わった。 1944年3月14日、スナッパーは9回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。この哨戒では価値ある目標をほとんど観測しなかった。3月24日、スナッパーは北緯28度55分 東経142度03分 / 北緯28.917度 東経142.050度 / 28.917; 142.050の地点で12隻の輸送船からなる船団を発見し、8本の魚雷を発射してそのうちの6本を命中させて貨物船に損傷を与えたと判断されたものの、荒天のため攻撃を継続することはできなかった。敵の護衛艦および荒天がそれ以上の攻撃を妨げた。4月29日、スナッパーは57日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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