第8、第9の哨戒 1943年10月 - 1944年4月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第8、第9の哨戒 1943年10月 - 1944年4月の意味・解説 

第8、第9の哨戒 1943年10月 - 1944年4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:15 UTC 版)

スナッパー (潜水艦)」の記事における「第8、第9の哨戒 1943年10月 - 1944年4月」の解説

10月19日スナッパー8回目哨戒日本近海向かった11月29日、この日は荒天であったスナッパー八丈島東北東海域横須賀からトラックに向かう、5隻の輸送船中心とした第3128船団発見射程距離接近し魚雷3本発射そのうちの2本が特設運送船乾隆丸(乾汽船、4,575トン)に命中し乾隆丸は炎上して沈没した12月14日スナッパー56日間行動終えてミッドウェー島帰投この後スナッパー真珠湾回航されて修理受けた艦長ウィリアム・Wウォーカー少佐アナポリス1934年組)に代わった。 1944年3月14日スナッパー9回目哨戒小笠原諸島方面向かった。この哨戒では価値ある目標をほとんど観測しなかった。3月24日スナッパー北緯2855東経14203分 / 北緯28.917度 東経142.050度 / 28.917; 142.050の地点12隻の輸送船からなる船団発見し、8本の魚雷発射してそのうちの6本を命中させて貨物船損傷与えた判断されたものの、荒天のため攻撃継続することはできなかった。敵の護衛艦および荒天それ以上攻撃妨げた4月29日スナッパー57日間行動終えてミッドウェー島帰投した。

※この「第8、第9の哨戒 1943年10月 - 1944年4月」の解説は、「スナッパー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第8、第9の哨戒 1943年10月 - 1944年4月」を含む「スナッパー (潜水艦)」の記事については、「スナッパー (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第8、第9の哨戒 1943年10月 - 1944年4月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第8、第9の哨戒 1943年10月 - 1944年4月」の関連用語

第8、第9の哨戒 1943年10月 - 1944年4月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第8、第9の哨戒 1943年10月 - 1944年4月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスナッパー (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS