第8、第9の哨戒 1943年4月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第8、第9の哨戒 1943年4月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 16:03 UTC 版)

スレッシャー (潜水艦)」の記事における「第8、第9の哨戒 1943年4月 - 7月」の解説

4月4日スレッシャー8回目哨戒ジャワ海方面向かった。この哨戒ではヌサ・ラウト島に向かい人員輸送してくる任務与えられていた。しかし、5月1日予定地点到着したもののスレッシャー輸送すべき人員の姿がなく、5月5日まで待った結局会合失敗5月11日スレッシャー司令部宛に「接触せず」と報告したまた、この哨戒戦果挙げることはなかった。5月23日スレッシャー50日間行動終えてフリーマントル帰投した。 6月16日スレッシャー9回目哨戒セレベス海方面向かった。この哨戒では、ネグロス島抗日ゲリラ対す輸送任務命じられていた。6月30日夕刻スレッシャーボルネオ島東岸パラオに向かう第2603船団発見駆逐艦帆風が3隻の輸送船護衛していた。19時ごろに魚雷3本発射したが、いずれも命中しなかった。船団北方進路変えたが、スレッシャーは翌7月1日未明船団再発見2度目攻撃をかけたが、またもや失敗終わったスレッシャーはなおも追撃し1938分ごろに北緯0043東経11935分 / 北緯0.717度 東経119.583度 / 0.717; 119.583の地点3度目攻撃行い帆風艦首尾に魚雷命中させた。スレッシャー浮上して船団攻撃しよう接近したが、防御砲火阻まれ潜航余儀なくされた。スレッシャー船団追跡し続け日付7月2日変わった直後北緯0130東経11930分 / 北緯1.500度 東経119.500度 / 1.500; 119.500の地点船団から遅れていた陸軍米山丸(板谷商船、5,274トン)に向けて魚雷を2本発射。1本が命中し米山丸は大爆発起こして沈没していった。7月5日にはセレベス島タンブ湾でタンカー発見し護衛艦がいなくなるのを待って魚雷3本発射魚雷タンカー命中したように思えたが、タンカー備砲威嚇発射しつつ高速逃げていった。7月9日スレッシャーネグロス島西岸カトモウ岬の会合点に到着。闇に乗じて500ポンド物資40,000ラウンドに及ぶ弾薬ゲリラ渡しゲリラからは情報機関文書預かったスレッシャー作業終了後即座にこの場を去って哨戒再開したあと東に向かい途中でミッドウェー島寄港した7月28日スレッシャー42日間行動終えて真珠湾帰投オーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所回航された。終了後スレッシャー10月8日同地出航して一週間後に真珠湾到着した

※この「第8、第9の哨戒 1943年4月 - 7月」の解説は、「スレッシャー (潜水艦)」の解説の一部です。
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