第8、第9の哨戒 1944年10月 - 1945年3月とは? わかりやすく解説

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第8、第9の哨戒 1944年10月 - 1945年3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:17 UTC 版)

シャード (潜水艦)」の記事における「第8、第9の哨戒 1944年10月 - 1945年3月」の解説

10月25日シャード8回目哨戒レッドフィッシュ (USS Redfish, SS-395) およびスレッシャー (USS Thresher, SS-200) とともにウルフパック構成し台湾近海および東シナ海向かった11月2日サイパン島寄港の後、哨区に到着11月17日未明には北緯2410東経12157分 / 北緯24.167度 東経121.950度 / 24.167; 121.950の地点病院船目撃11月22日夜に北緯2410東経12221分 / 北緯24.167度 東経122.350度 / 24.167; 122.350の花蓮港沖で輸送船団発見し北緯2416東経12228分 / 北緯24.267度 東経122.467度 / 24.267; 122.467の地点至り千鳥型水雷艇思しき艦艇に対して魚雷3本発射した命中しなかった。11月26日レッドフィッシュ合流してサイパン島向かい、翌27日到着補給後、再び東シナ海哨戒行った。しかし、この哨戒では戦果がなかった。1945年1月5日シャード63日間行動終えて真珠湾帰投乗組員休暇修理が行われた。 1月31日シャード9回目哨戒ピート (USS Peto, SS-265) およびスレッシャーとともにルソン海峡および南シナ海向かった2月12日サイパン島給油行った後、哨区に到着3月5日夜には敵の魚雷攻撃受けて危機陥った3本魚雷シャード艦首横切ったが、被害はなかった。この哨戒シャード3月6日北緯2054東経11241分 / 北緯20.900度 東経112.683度 / 20.900; 112.683の地点輸送船団3月8日北緯1927東経11133分 / 北緯19.450度 東経111.550度 / 19.450; 111.550の地点小型艦艇、3月12日北緯2009東経11153分 / 北緯20.150度 東経111.883度 / 20.150; 111.883の地点輸送船団それぞれ発見し攻撃試みたもののすべてが護衛艦によって阻止され攻撃機会無かった3月30日シャード57日間行動終えてグアムアプラ港に帰投艦長ドナルド・L・メロップ少佐アナポリス1937年組)に代わった。

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