第8、第9、第10の哨戒 1943年9月 - 1944年5月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:17 UTC 版)
「サーモン (SS-182)」の記事における「第8、第9、第10の哨戒 1943年9月 - 1944年5月」の解説
9月27日、サーモンは8回目の哨戒で日本近海および千島列島方面に向かった。サーモンはこの哨戒で、10月15日と28日、29日の三度にわたって攻撃機会を得て、そのうち2隻の貨物船に対して損傷を与えたと報告した。10月29日の攻撃は貨物船長田丸(日本郵船、2,969トン)と貨物船永保丸(北海船舶、741トン)に対してものであり、長田丸に魚雷を命中させたものの不発で仕留め切れず、時間を置いて再度長田丸に対して攻撃を行ったものの回避された。11月17日、サーモンは51日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 12月15日、サーモンは9回目の哨戒で日本近海に向かった。1944年1月22日、サーモンは北緯29度33分 東経141度02分 / 北緯29.550度 東経141.033度 / 29.550; 141.033の地点で輸送船団を発見して1隻のタンカーに対して攻撃を行い、損傷を与えたと報告した。2月25日、サーモンは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がハーリー・K・ナウマン中佐(アナポリス1934年組)に代わった。 4月1日、サーモンは10回目の哨戒でパラオ方面に向かった。途中、ジョンストン島でシードラゴン (USS Seadragon, SS-194) と合流した。サーモンは、カロリン諸島攻略作戦の準備を支援するための特別任務、写真撮影による偵察が命じられていた。4月15日から20日にかけてウルシー環礁を、22日から26日まではヤップ島、28日から5月9日までウォレアイ環礁を偵察した。サーモンの収集した貴重な情報は攻撃計画の最終段階における変更に活用された。4月27日には、小型貨物船に対して魚雷を3本発射したが、命中しなかった。5月6日にも哨戒艇に対して魚雷を発射したが、これも成功しなかった。5月21日、サーモンは51日間の行動を終えて真珠湾に帰投。メア・アイランド海軍造船所に回航され、2度目のオーバーホールに入った。
※この「第8、第9、第10の哨戒 1943年9月 - 1944年5月」の解説は、「サーモン (SS-182)」の解説の一部です。
「第8、第9、第10の哨戒 1943年9月 - 1944年5月」を含む「サーモン (SS-182)」の記事については、「サーモン (SS-182)」の概要を参照ください。
- 第8、第9、第10の哨戒 1943年9月 - 1944年5月のページへのリンク