第4の哨戒 1943年2月 - 4月
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「ワフー (SS-238)」の記事における「第4の哨戒 1943年2月 - 4月」の解説
2月23日、ワフーは4回目の哨戒で黄海に向かった。ワフーに割り当てられた海域は黄海の中でも鴨緑江や大連の近くという極端な場所だった。この黄海は、これまでアメリカ潜水艦によって哨戒されなかった海域だが、その理由として平均水深が約40メートルと浅かったからである。途中で訓練を行った後、3月11日に長崎と台湾、下関と台湾の各航路が行き交う海域に到着した。 3月13日午後、ワフーは北緯32度57分 東経126度11分 / 北緯32.950度 東経126.183度 / 32.950; 126.183の地点で1,000トン級輸送船を発見し、魚雷を1本だけ発射したが命中しなかった。3月19日未明には、北緯38度12分 東経123度18分 / 北緯38.200度 東経123.300度 / 38.200; 123.300の地点で大阪から大連に向かっていた輸送船増源号(満洲海運、1,428トン)を発見し、魚雷を1本発射して命中させ、増源丸は船体が前後に割れて2分で沈没した。生存者はいないと判断されたが、日本側の記録とは違う。約4時間後、北緯38度22分 東経122度15分 / 北緯38.367度 東経122.250度 / 38.367; 122.250の地点で別の輸送船裕山丸(興国汽船、6,038トン)を発見し、魚雷を3度にわたって合計4本発射、そのうちの1本が命中したが不発に終わった。 3月21日朝、ワフーは北緯38度11分 東経124度33分 / 北緯38.183度 東経124.550度 / 38.183; 124.550の朝鮮半島鎮南浦沖で輸送船保山丸(大東商船、2,260トン)を発見して魚雷を3本発射し、1本を中央部に命中させ、保山丸は約33名の生存者が船体にしがみついたまま4分で沈没。4時間たってから北緯38度03分 東経124度39分 / 北緯38.050度 東経124.650度 / 38.050; 124.650の地点で輸送船日通丸(岡崎本店、2,183トン)に対して魚雷を3本発射し、うち2本を命中させて日通丸は3分で船首から消えていった。ワフーは攻撃後浮上して日通丸の名が書かれた残骸を回収した後、山東半島に針路を向け、次いで旅順近海を経て遼東半島寄り、大連近郊のラウンド島近辺に向かった。この辺りの水深は約91メートルと深かった。3月23日未明には北緯38度38分 東経121度14分 / 北緯38.633度 東経121.233度 / 38.633; 121.233の地点で輸送船暁雲丸(元イギリス船エトセル・モラー/東亜海運委託、912トン)に対して攻撃を行ったが、撃沈できなかったばかりか、相手は爆雷で反撃してきた。 3月24日12時47分、ワフーは長山列島沖で煙を見つけ、接近していった。19時49分、目標は重油が積まれたタンカー、実際には輸送船高雄山丸(三井船舶、2,076トン)に向け、最初の一撃で魚雷を3本発射したが2本が早期爆発を起こし、残る1本は逸れて失敗したのを見て、高雄山丸は反撃を行った。ワフーは潜航し、北緯39度05分 東経122度25分 / 北緯39.083度 東経122.417度 / 39.083; 122.417の地点で高雄山丸に対して新たな魚雷を3本発射。1本が命中して4分で沈没した。翌3月25日未明、ワフーは北緯38度16分 東経123度14分 / 北緯38.267度 東経123.233度 / 38.267; 123.233の地点で輸送船皐月丸(近海運輸汽船、830トン)を発見。まず魚雷を2本発射したが命中せず、ワフーは浮上砲戦に持ち込んだ。20ミリ機銃の射撃の後、4インチ砲弾90発を浴びせて炎上させて撃沈した。程なくして、1,000トン級小型タンカーが現れたため浮上し、4インチ砲と20ミリ機銃で攻撃。小型タンカーは衝撃を目論んだが、ワフーの更なる射撃により炎上、沈没したと報告された。皐月丸側は、2隻の潜水艦に攻撃されたと思っていた。ワフーの乗組員は潜望鏡を通して、代わる代わるこの光景を見物した。3月27日朝、ワフーは北緯33度39分 東経125度23分 / 北緯33.650度 東経125.383度 / 33.650; 125.383の地点で100トン級トロール船を発見した。ワフーは浮上し、4インチ砲と20ミリ機銃で穴だらけにすると、ワフーはトロール船と平行となり、ワフーの乗組員はミッドウェー島の海兵隊員から贈られた火炎瓶で炎上させた。下関と台湾間の海域に戻ったワフーは、3月28日に北緯31度39分 東経127度41分 / 北緯31.650度 東経127.683度 / 31.650; 127.683の地点で2隻のサンパンを発見。銃撃で炎上させ、沈没こそしなかったが海上に打ち捨てられた状態となった。 3月29日未明、ワフーは北緯30度26分 東経129度41分 / 北緯30.433度 東経129.683度 / 30.433; 129.683の屋久島沖で特設電線敷設船山鳩丸(山下汽船、2,556トン)に艦尾発射管の魚雷2本を命中させ撃沈した。ワフーはこれまでの一哨戒における戦果の新記録を打ち立てて帰途につき、「日本人は今後、黄海での潜水艦の行動に頭を悩ますだろう」とレポートを締めくくった。途中、「アッツ島救援の日本艦隊が、トラックから日本に戻ってくる」との司令部からの情報を受信したが、これといったアクションは起こさなかった。4月6日、ワフーは42日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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