第4の哨戒 1943年12月 - 1944年1月
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「スコーピオン (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1943年12月 - 1944年1月」の解説
12月29日、スコーピオンは4回目の哨戒で東シナ海、黄海方面に向かった。1944年1月3日にミッドウェー島に到着して給油を行った後、担当海域に向かった。1月5日の朝、スコーピオンは乗組員の一人が上腕を骨折したため、哨戒から帰還途中で付近にいたヘリング (USS Herring, SS-233) への移乗を要求した。その日の午後、推定位置北緯30度07分 東経167度30分 / 北緯30.117度 東経167.500度 / 30.117; 167.500で2隻は合流したが、荒天のため移乗は行えなかった。スコーピオンは予定は順調であることを報告したが、ヘリングと別れた後消息不明となる。2月16日、スティールヘッド (USS Steelhead, SS-280) はスコーピオンと思しき潜水艦に接近しており、付近に敵の潜水艦がいると警告された。しかし、この潜水艦が本当にスコーピオンだったかどうかは不明である。2月24日まで待ったもののスコーピオンの消息はつかめず、喪失が宣告された。
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