第4の哨戒 1944年12月 - 1945年1月
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「シーライオン (SS-315)」の記事における「第4の哨戒 1944年12月 - 1945年1月」の解説
12月14日、シーライオンは4回目の哨戒でカイマン (USS Caiman, SS-323)、ブレニー (USS Blenny, SS-324) とウルフパックを構成し南シナ海に向かった。この哨戒は悪天候に悩まされることが多く、26日間に及ぶ哨戒期間のうち、6回の潜航機会を除いて常に浮上していた。12月20日、シーライオンは駆逐艦の護衛がついた給糧艦間宮を発見。19時37分に魚雷を6本発射し、4つの命中を得た。シーライオンは護衛艦の反撃を回避し、次回攻撃の準備を行った。2時間半後観測すると、間宮は依然として浮いていた。日付が変わって12月21日0時32分、シーライオンは間宮に向けて魚雷を3本発射。2本が命中して間宮は沈没していった。 その後シーライオンは、12月28日から1945年1月14日までルソン島リンガエン湾への上陸を企図する第7艦隊(トーマス・C・キンケイド中将)の支援活動に従事した。1月24日、シーライオンは43日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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