第4の哨戒 1943年5月 - 6月とは? わかりやすく解説

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第4の哨戒 1943年5月 - 6月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 14:54 UTC 版)

ホエール (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1943年5月 - 6月」の解説

5月5日ホエール4回目の哨戒日本近海向かった5月9日ミッドウェー島寄港して翌日出港5月15日ホエールウェーク島爆撃するB-24の支援をするよう命令を受け、その日のうちに指定され海域到着翌日空襲本番当日には反撃受けて潜航をすることもあったが、1922分に終了するまでおおむね任務全うすることができた。また、島の南岸タニー (USS Tunny, SS-282) とフィンバック (USS Finback, SS-230) が破壊した特設運送船諏訪丸(日本郵船10,672トン)の姿を見ることが出来た5月20日から24日まではロタ島偵察などに従事。翌25日ホエールグアム接近しアプラ港に3隻の船舶がいることを確認してホエール待ち伏せ攻撃を行うことに決めたそうこうしている内にアプラ港出港してきた特設砲艦勝泳丸(大和汽船、3,580トン)を発見し追跡5月26日0時14分に北緯14度17東経14450分 / 北緯14.283度 東経144.833度 / 14.283; 144.833の地点魚雷3本発射し最初魚雷命中した勝泳丸は4分で沈んでいった。6月5日には、北緯14度34東経15133分 / 北緯14.567度 東経151.550度 / 14.567; 151.550の地点で「神川丸水上機母艦」と思しき艦艇発見して魚雷を4本発射し3本命中判定されるその後サイパン島周辺サイパン行き航路が通ると思われる海域潜伏し6月9日夜に北緯11度58東経14903分 / 北緯11.967度 東経149.050度 / 11.967; 149.050の地点で2隻の大型輸送船中心とする輸送船団レーダー探知し、まず先頭目標に対して魚雷3本発射し、うち2本が命中した判断された。続いて二番目目標に対して魚雷3本発射し、これも2本の命中判断される攻撃仕上げとして、さらに魚雷3本発射して1本の命中得たものと判定された。ホエールは8,000トン貨客船と7,000トン輸送船大い痛めつけたと評価した6月21日ホエール47日間行動終えて真珠湾帰投した。

※この「第4の哨戒 1943年5月 - 6月」の解説は、「ホエール (潜水艦)」の解説の一部です。
「第4の哨戒 1943年5月 - 6月」を含む「ホエール (潜水艦)」の記事については、「ホエール (潜水艦)」の概要を参照ください。

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