第4の哨戒 1943年5月 - 6月
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「ホエール (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1943年5月 - 6月」の解説
5月5日、ホエールは4回目の哨戒で日本近海に向かった。5月9日にミッドウェー島に寄港して翌日出港。5月15日、ホエールはウェーク島を爆撃するB-24の支援をするよう命令を受け、その日のうちに指定された海域に到着。翌日の空襲本番当日には反撃を受けて潜航をすることもあったが、19時22分に終了するまでおおむね任務を全うすることができた。また、島の南岸でタニー (USS Tunny, SS-282) とフィンバック (USS Finback, SS-230) が破壊した特設運送船諏訪丸(日本郵船、10,672トン)の姿を見ることが出来た。5月20日から24日まではロタ島の偵察などに従事。翌25日、ホエールはグアムに接近し、アプラ港に3隻の船舶がいることを確認してホエールは待ち伏せ攻撃を行うことに決めた。そうこうしている内にアプラ港を出港してきた特設砲艦勝泳丸(大和汽船、3,580トン)を発見し追跡。5月26日0時14分に北緯14度17分 東経144度50分 / 北緯14.283度 東経144.833度 / 14.283; 144.833の地点で魚雷を3本発射し、最初の魚雷が命中した勝泳丸は4分で沈んでいった。6月5日には、北緯14度34分 東経151度33分 / 北緯14.567度 東経151.550度 / 14.567; 151.550の地点で「神川丸型水上機母艦」と思しき艦艇を発見して魚雷を4本発射し、3本の命中と判定される。その後もサイパン島周辺やサイパン行きの航路が通ると思われる海域に潜伏し、6月9日夜には北緯11度58分 東経149度03分 / 北緯11.967度 東経149.050度 / 11.967; 149.050の地点で2隻の大型輸送船を中心とする輸送船団をレーダーで探知し、まず先頭の目標に対して魚雷を3本発射し、うち2本が命中したと判断された。続いて二番目の目標に対しても魚雷を3本発射し、これも2本の命中と判断される。攻撃の仕上げとして、さらに魚雷を3本発射して1本の命中を得たものと判定された。ホエールは8,000トン級貨客船と7,000トン級輸送船を大いに痛めつけたと評価した。6月21日、ホエールは47日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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