第4の哨戒 1943年10月 - 12月
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「スヌーク (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説
10月30日、スヌークは4回目の哨戒でハーダー (USS Harder, SS-257)、パーゴ (USS Pargo, SS-264) とウルフパックを構成しマリアナ諸島方面に向かった。11月19日未明には、ハーダーが敵輸送船団を攻撃している様子を聴取。11月28日、スヌークはパーゴからの報告に基づいて複数の目標を迎撃する位置に移動する。やがてトラック諸島に向かっていた第3123船団を発見し、23時55分ごろに北緯18度27分 東経140度18分 / 北緯18.450度 東経140.300度 / 18.450; 140.300の地点で艦首と艦尾の両発射管から魚雷を計10本発射。魚雷は特設運送船山福丸(山下汽船、4,928トン)に命中して撃沈する。日付が11月29日に変わって1時ごろに魚雷を計8本発射し、1時50分ごろにも魚雷を計6本発射。魚雷は海軍徴傭船志賀の浦丸(三菱汽船、3,512トン)に1本ずつ命中して北緯18度02分 東経138度55分 / 北緯18.033度 東経138.917度 / 18.033; 138.917の地点で撃沈した。第3123船団への攻撃ですべての魚雷を撃ち尽くしたスヌークは、ここで哨戒を打ち切った。12月7日、スヌークは38日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投、真珠湾に回航された。
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第4の哨戒 1943年10月 - 12月
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「ティノサ (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説
10月27日、ティノサは4回目の哨戒でパラオ方面に向かった。11月22日朝、ティノサは北緯07度10分 東経134度34分 / 北緯7.167度 東経134.567度 / 7.167; 134.567の地点で2隻の輸送船と2隻の護衛艦からなる船団を発見した。2隻の目標に対して魚雷を3本ずつ計6本発射し、最初の目標に3本すべて、二番目の目標に2本がそれぞれ命中し、外れたのは1本のみであった。この攻撃でティノサは2隻の陸軍輸送船、木曾丸(三光汽船、4,070トン)と大和丸(白洋汽船、4,378トン)を撃沈したが、直後に護衛の第35号駆潜艇と敷設艦白鷹の反撃を受けた。ティノサは76メートル、次いで120メートルの深度に潜航したものの発電機が破壊され、ジャイロコンパスも狂うなど被害を受けたものの応急修理で切り抜け、護衛艦艇が去ってから哨戒を再開した。11月25日には北緯05度09分 東経135度56分 / 北緯5.150度 東経135.933度 / 5.150; 135.933の地点で3隻の輸送船団を発見して魚雷を3本発射したが、コントロールミスにより命中しなかった。11月26日朝、ティノサは北緯06度22分 東経134度48分 / 北緯6.367度 東経134.800度 / 6.367; 134.800のパラオ沖でウエワク13次船団を発見。最初の目標に対して魚雷を3本発射し、二番目の目標に対しても魚雷を3本発射しようとしたが、1本は魚雷発射管の故障で発射できなかった。それでも、各目標に2本ずつ命中させた。ティノサは今度も攻撃直後に深く潜航。34個の爆雷を投じられたが難なく切り抜けた。この攻撃で陸軍輸送船神威丸(岸本汽船、3,811トン)を撃沈した。同じ日に沈没した陸軍輸送船大祐丸(宇部興産、1,874トン)は当該船団に名を連ねていないが、ティノサが打撃を与えたとしている。12月3日夕刻には、北緯06度34分 東経131度40分 / 北緯6.567度 東経131.667度 / 6.567; 131.667のアンガウル島近海でバリクパパンからトラックに向かっていた3隻のタンカー船団を発見。19時47分、ティノサは魚雷を3本発射し、1本が特設運送船(給油)吾妻丸(日本郵船、6,645トン)に命中し、魚雷が命中した吾妻丸は火災を起こした。ティノサは21時過ぎに止めを刺そうと浮上したが、突然、舵損傷により右旋回を続けていた吾妻丸からの反撃を受け、体当たりされそうになったため魚雷を1本だけ発射したのちすぐに潜航。21時20分に吾妻丸に向けて魚雷を3本発射し2本を命中させ、ようやく吾妻丸を撃沈した。12月16日、ティノサは49日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がドナルド・F・ワイス中佐(アナポリス1929年組)に代わった。
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