第4の哨戒 1943年10月 - 12月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第4の哨戒 1943年10月 - 12月の意味・解説 

第4の哨戒 1943年10月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:29 UTC 版)

スヌーク (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説

10月30日スヌーク4回目の哨戒ハーダー (USS Harder, SS-257)、パーゴ (USS Pargo, SS-264) とウルフパック構成しマリアナ諸島方面向かった11月19日未明には、ハーダーが敵輸送船団攻撃している様子聴取11月28日スヌークパーゴからの報告基づいて複数目標迎撃する位置移動する。やがてトラック諸島向かっていた第3123船団発見し23時55分ごろに北緯1827東経140度18分 / 北緯18.450度 東経140.300度 / 18.450; 140.300の地点艦首艦尾の両発射管から魚雷を計10発射魚雷特設運送船福丸山下汽船、4,928トン)に命中して撃沈する日付11月29日変わって1時ごろに魚雷を計8本発射し、1時50分ごろにも魚雷を計6本発射魚雷海軍徴傭志賀の浦丸(三菱汽船、3,512トン)に1本ずつ命中して北緯1802東経13855分 / 北緯18.033度 東経138.917度 / 18.033; 138.917の地点撃沈した。第3123船団への攻撃すべての魚雷撃ち尽くしたスヌークは、ここで哨戒打ち切った12月7日スヌーク38日間行動終えてミッドウェー島帰投真珠湾回航された。

※この「第4の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説は、「スヌーク (潜水艦)」の解説の一部です。
「第4の哨戒 1943年10月 - 12月」を含む「スヌーク (潜水艦)」の記事については、「スヌーク (潜水艦)」の概要を参照ください。


第4の哨戒 1943年10月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 03:55 UTC 版)

ティノサ (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説

10月27日ティノサ4回目の哨戒パラオ方面向かった11月22日朝、ティノサ北緯0710東経13434分 / 北緯7.167度 東経134.567度 / 7.167; 134.567の地点で2隻の輸送船と2隻の護衛艦からなる船団発見した。2隻の目標に対して魚雷3本ずつ計6本発射し最初目標3本すべて、二番目目標に2本がそれぞれ命中し外れたのは1本のであった。この攻撃ティノサは2隻の陸軍輸送船木曾丸(三光汽船、4,070トン)と大和丸白洋汽船、4,378トン)を撃沈したが、直後護衛の第35号駆潜艇敷設艦白鷹反撃受けたティノサ76メートル次いで120メートル深度潜航したものの発電機破壊されジャイロコンパスも狂うなど被害受けたものの応急修理切り抜け護衛艦艇が去ってから哨戒再開した11月25日には北緯0509東経135度56分 / 北緯5.150度 東経135.933度 / 5.150; 135.933の地点で3隻の輸送船団発見して魚雷3本発射したが、コントロールミスにより命中しなかった。11月26日朝、ティノサ北緯0622東経13448分 / 北緯6.367度 東経134.800度 / 6.367; 134.800のパラオ沖でウエワク13船団発見最初目標に対して魚雷3本発射し二番目目標に対して魚雷3本発射しようとしたが、1本は魚雷発射管故障発射できなかった。それでも、目標に2本ずつ命中させた。ティノサ今度攻撃直後深く潜航34個の爆雷投じられたが難なく切り抜けた。この攻撃陸軍輸送船神威丸(岸本汽船、3,811トン)を撃沈した。同じ日に沈没した陸軍輸送船大祐丸(宇部興産、1,874トン)は当該船団名を連ねていないが、ティノサ打撃与えたとしている。12月3日夕刻には、北緯0634東経13140分 / 北緯6.567度 東経131.667度 / 6.567; 131.667のアンガウル島近海バリクパパンからトラック向かっていた3隻のタンカー船団を発見1947分、ティノサ魚雷3本発射し、1本が特設運送船給油吾妻丸(日本郵船、6,645トン)に命中し魚雷命中した吾妻丸は火災起こしたティノサ21時過ぎ止めを刺そうと浮上したが、突然、舵損傷により右旋回を続けていた吾妻丸からの反撃を受け、体当たりされそうになったため魚雷を1本だけ発射したのちすぐに潜航21時20分吾妻丸に向けて魚雷3本発射し2本を命中させ、ようやく吾妻丸を撃沈した12月16日ティノサ49日間の行動終えてフリーマントル帰投艦長ドナルド・F・ワイス中佐アナポリス1929年組)に代わった。

※この「第4の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説は、「ティノサ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第4の哨戒 1943年10月 - 12月」を含む「ティノサ (潜水艦)」の記事については、「ティノサ (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第4の哨戒 1943年10月 - 12月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第4の哨戒 1943年10月 - 12月」の関連用語

第4の哨戒 1943年10月 - 12月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第4の哨戒 1943年10月 - 12月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスヌーク (潜水艦) (改訂履歴)、ティノサ (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS