第4の哨戒 1942年6月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第4の哨戒 1942年6月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:18 UTC 版)

スタージョン (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1942年6月 - 7月」の解説

6月5日スタージョン4回目の哨戒ルソン島西方海域向かった6月25日夜明け前北緯15度47東経11933分 / 北緯15.783度 東経119.550度 / 15.783; 119.550の地点で9隻の輸送船団観測し最大の船に対して3本魚雷放射状発射爆発音観測した護衛艦から21発の爆雷攻撃を受け、いくつかの計器破損したものの戦闘海域離脱した7月1日未明スタージョン北緯1837東経11929分 / 北緯18.617度 東経119.483度 / 18.617; 119.483のルソン島ボヘヤドール岬西方海域で、ラバウルからオーストラリア軍捕虜および民間被抑留者1,157名を乗せて三亜向かっていた特設運送船もんてびでお丸英語版)(大阪商船、7,266トン)に向けて魚雷発射。2本がもんてびでお丸右舷命中しもんてびでお丸10前後沈没したアメリカ側もんてびでお丸輸送任務について判明したのは後のことであった捕虜らは海に放り出された後、浮遊物つかまってオールド・ラング・サイン」を歌いながら救助待ち生き残った捕虜駆逐艦救助され日本送られた。7月5日には北緯1607東経11913分 / 北緯16.117度 東経119.217度 / 16.117; 119.217の地点マニラから北に向かう船団発見し攻撃、「4,000トンタンカー」の撃破報告したアメリカ側記録は、このタンカー特設給油船さんぺどろ丸(三菱商事、7,268トン)とするが、日本側の記録では、さんぺどろ丸が攻撃された日は7月7日である。7月22日スタージョン47日間行動終えてフリーマントル帰投修理が行われた。スタージョン修理後ソロモン諸島の戦い投入されることとなり、オールバニ寄港した8月18日出航8月29日朝にブリスベン到着した艦長ハーマン・A・ピチェントコフスキ少佐アナポリス1930年組)に代わった。

※この「第4の哨戒 1942年6月 - 7月」の解説は、「スタージョン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第4の哨戒 1942年6月 - 7月」を含む「スタージョン (潜水艦)」の記事については、「スタージョン (潜水艦)」の概要を参照ください。

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