第4の哨戒 1942年6月 - 7月
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「スタージョン (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1942年6月 - 7月」の解説
6月5日、スタージョンは4回目の哨戒でルソン島西方海域に向かった。6月25日の夜明け前に北緯15度47分 東経119度33分 / 北緯15.783度 東経119.550度 / 15.783; 119.550の地点で9隻の輸送船団を観測し、最大の船に対して3本の魚雷を放射状に発射、爆発音を観測した。護衛艦から21発の爆雷攻撃を受け、いくつかの計器を破損したものの戦闘海域を離脱した。7月1日未明、スタージョンは北緯18度37分 東経119度29分 / 北緯18.617度 東経119.483度 / 18.617; 119.483のルソン島ボヘヤドール岬西方海域で、ラバウルからオーストラリア軍捕虜および民間の被抑留者1,157名を乗せて三亜に向かっていた特設運送船もんてびでお丸(英語版)(大阪商船、7,266トン)に向けて魚雷を発射。2本がもんてびでお丸の右舷に命中し、もんてびでお丸は10分前後で沈没した。アメリカ側がもんてびでお丸の輸送任務について判明したのは後のことであった。捕虜らは海に放り出された後、浮遊物につかまって「オールド・ラング・サイン」を歌いながら救助を待ち、生き残った捕虜は駆逐艦に救助されて日本に送られた。7月5日には北緯16度07分 東経119度13分 / 北緯16.117度 東経119.217度 / 16.117; 119.217の地点でマニラから北に向かう船団を発見し攻撃、「4,000トン級タンカー」の撃破を報告した。アメリカ側の記録は、このタンカーを特設給油船さんぺどろ丸(三菱商事、7,268トン)とするが、日本側の記録では、さんぺどろ丸が攻撃された日は7月7日である。7月22日、スタージョンは47日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。修理が行われた。スタージョンは修理後、ソロモン諸島の戦いに投入されることとなり、オールバニに寄港した後8月18日に出航。8月29日朝にブリスベンに到着した。艦長がハーマン・A・ピチェントコフスキ少佐(アナポリス1930年組)に代わった。
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