第4の哨戒 1942年5月 - 6月
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「トラウト (SS-202)」の記事における「第4の哨戒 1942年5月 - 6月」の解説
5月21日、トラウトは4回目の哨戒でミッドウェー島近海に向かった。トラウトは第7.1任務群の一艦として、日本の攻撃に備えるべくミッドウェー島のはるか西南方に配備された。6月4日8時12分、トラウトは後方に日本の戦闘機が飛んでいるの発見し、潜航。その後、一連の爆発を聞いた。6月9日、トラウトは大きい油膜といくらかの残骸の間を抜けたのち、木製のカバーにつかまっている、ミッドウェー海戦で撃沈された重巡洋艦三隈の生存者2名を救助した。この哨戒では、魚雷は一度も発射しなかった。6月14日、トラウトは26日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がローソン・P・ラメージ少佐(アナポリス1931年組)に代わった。
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