第4の哨戒 1942年7月 - 9月
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「ソーリー (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1942年7月 - 9月」の解説
7月31日、ソーリーは4回目の哨戒でフィリピン方面に向かった。8月6日にロンボク海峡を通過し、イロイロとマニラ間の交通路を哨戒しつつ8月16日までに哨戒海域に到着。8月17日、ソーリーはアンブロン海峡とマンガリン湾(英語版)を、8月18日にはミンドロ島とコレヒドール島を結ぶ海域をそれぞれ偵察した。8月20日、ソーリーは敵輸送船団の予想ルート上に移動し、その翌日にはタンカーを発見して接近を試みた。その時点で、ソーリーは海岸線から8キロの地点を哨戒していたが、結果的に移動することとなった。 8月24日、ソーリーはマニラ湾口に向かい、6時45分にマストを発見したものの、折りからの大雨は目標を覆いつくした。9時52分に魚雷を2本発射し、もう2本の発射準備を整えたが、潜望鏡がゆれて発射の障害となった。9時54分に爆発音が聞こえ、目標のタンカーが5度にわたって振動しているのを見た。ソーリーは爆雷攻撃から逃れるべく水深60メートルに逃げ、10時47分にそのうちの一発がソーリーの至近で爆発。以後も11時50分と52分に2発の爆雷が爆発した。爆雷攻撃は午後も続き、18時10分に至ってプロペラの動きが止まった。19時21分、ソーリーは3台の発動機を起動させて浮上し充電を開始したものの、1時間後に駆逐艦に発見され再び潜航。何とか反撃をしのいだ。アメリカ側の記録では、この攻撃でタンカー音羽山丸(三井物産、9,204トン)を撃破したとする。 次の日の夜、ソーリーは駆逐艦か水雷艇と思われる敵艦を発見。幸い攻撃されなかった。8月29日以降は悪天候に悩まされ、31日には病院船を発見。悪天候はソーリーが南に針路を向けた9月3日には収まった。9月7日、ソーリーはマカッサル近海で新たな哨戒を開始。9月11日、ソーリーは夜間浮上哨戒中に1隻の貨物船を発見。20時58分、ソーリーは目標に向けて魚雷を3本発射。2分後、目標は爆発し全船を揺さぶった。上部構造物と船上の貨物は明るく照らされ、18分後に目標は再度爆発して消えた。この攻撃で、特設航空機運搬艦関東丸(原田汽船、8,601トン)を撃沈した。9月17日にロンボク海峡を抜け、エクスマウス湾(英語版)に寄港して余分な燃料をはしけに移しかえた。9月23日、ソーリーは55日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。この後、ソーリーはソロモン諸島の戦いに参加することとなり、10月18日にフリーマントルを出港。シドニーを経由し、10月29日にブリスベンに到着した。
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第4の哨戒 1942年7月 - 9月
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「ガジョン (SS-211)」の記事における「第4の哨戒 1942年7月 - 9月」の解説
7月11日、ガジョンは4回目の哨戒でトラック諸島近海に向かった。7月23日、ガジョンは北緯09度49分 東経154度42分 / 北緯9.817度 東経154.700度 / 9.817; 154.700の地点で、20ノットで走り回るQシップに対し魚雷を3本発射。しかし魚雷は命中せず、逆に爆雷攻撃を受けた。翌7月24日夜には北緯08度33分 東経149度17分 / 北緯8.550度 東経149.283度 / 8.550; 149.283の地点で2隻の駆逐艦を発見し、魚雷発射のため巧みに接近するも、前日同様に爆雷攻撃を受けて目的を果たせなかった。7月31日未明にも北緯07度37分 東経150度10分 / 北緯7.617度 東経150.167度 / 7.617; 150.167の地点で7.5ノットの低速で航行中の銀洋丸(日本郵船、8,613トン)級貨物船と駆逐艦を発見し、魚雷を3本発射して2本が命中し、目標が停止したと判断されたが、爆雷攻撃から一時回避の後に再び観測すると、駆逐艦からの煙しか見えず目標は沈没したと判断された。夜が明けると、今度はぶら志゛る丸(大阪商船、12,755トン)級と思しき大型貨客船を発見し追跡。しかし、間もなくスコールで見失い、ガジョンは夜に入って「ぶら志゛る丸級貨客船」の発見と「銀洋丸級貨物船」の撃沈を報告した。8月3日の明け方、ガジョンは北緯07度17分 東経150度40分 / 北緯7.283度 東経150.667度 / 7.283; 150.667のトラック西方海域で特設運送船浪速丸(太平汽船、4,858トン)を撃沈。攻撃後、1時間に及ぶ爆雷攻撃を受けた。浪速丸撃沈後しばらくの間は何事も起こらなかったが、8月17日昼ごろには北緯07度40分 東経151度05分 / 北緯7.667度 東経151.083度 / 7.667; 151.083のトラック北西で2隻の駆逐艦と2隻の輸送船を発見し、魚雷を6本発射。魚雷は2隻の特設給油船、神国丸(神戸桟橋、10,020トン)と日栄丸(日東鉱業汽船、10,020トン)に命中し、2隻とも撃破する。攻撃後は爆雷攻撃を受けたが、特に被害はなかった。9月2日、ガジョンは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。2日後の9月4日に出港し、アルバニーを経由してブリスベンに回航され、10月3日に到着した。
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