第4の哨戒 1942年6月 - 8月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第4の哨戒 1942年6月 - 8月の意味・解説 

第4の哨戒 1942年6月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 16:03 UTC 版)

スレッシャー (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1942年6月 - 8月」の解説

6月26日スレッシャー4回目の哨戒マーシャル諸島方面向かった7月1日タンカー雷撃したものの、護衛艦哨戒機によって3時制圧された。7月9日スレッシャークェゼリン環礁ウォッジェ環礁の間を哨戒中、特設水雷母艦神祥丸(栗林商船、4,836トン)を発見スレッシャー魚雷2本を神祥丸に向けて発射し命中させて神祥丸を撃沈した。その直後上空哨戒中の水上偵察機対潜爆弾2発を投下しスレッシャー揺さぶった。そのおよそ10分後、スレッシャー海中にあった四つ足大きな錨に引っかかりスレッシャーではこれを「日本軍潜水艦捕獲する罠」と考えていた。錨のせいで動きままならずスレッシャー水中高速航行行って錨を振り落とした。しかし、その間にも対潜爆弾投下され、艦はそのたび揺さぶられたが、幸い大きなダメージ受けず修理の上トラック諸島パラオ方面移動した7月20日夜に貨物船取り逃がし、翌7月21日早朝には、折りからのスコールの中を浮上したものの、日本哨戒艦艇体当たりを受けそうになったアンボン沖ではQシップ交戦し魚雷2本を発射した回避された。8月15日スレッシャー50日間行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第4の哨戒 1942年6月 - 8月」の解説は、「スレッシャー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第4の哨戒 1942年6月 - 8月」を含む「スレッシャー (潜水艦)」の記事については、「スレッシャー (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第4の哨戒 1942年6月 - 8月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第4の哨戒 1942年6月 - 8月」の関連用語

第4の哨戒 1942年6月 - 8月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第4の哨戒 1942年6月 - 8月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスレッシャー (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS