第4の哨戒 1942年8月 - 10月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 16:09 UTC 版)
「シードラゴン (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1942年8月 - 10月」の解説
8月26日、シードラゴンは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。9月10日、シードラゴンはアポ水道を通過し、南シナ海に入った。翌9月11日、乗組員の一人であるウィーラー・B・リプス(英語版)が、虫垂炎にかかった同僚のダレル・レクターに対する緊急手術を行った。この一件は後に、シカゴ・デイリー・ニュース(英語版)のジョージ・ウェラー(英語版)記者が報じ、ウェラー記者はこの記事によりピューリッツァー賞を受賞した。また、リプスにも海軍功績章が授けられた。 9月12日、シードラゴンは中沙諸島西方の哨戒海域に到着。9月16日までこの海域で哨戒し、バレラ岬沖の哨戒海域に移動した。9月22日までシードラゴンはカムラン湾沖で哨戒していたが、適当な目標を得られなかった。22日朝になって、2隻の駆逐艦に護衛された野島丸(日本郵船、7184トン)級貨物船と思しき艦船に対して魚雷を4本発射。しかし、命中しなかった。駆逐艦が反撃に出て、「正確な」爆雷攻撃を行ってきた。 9月29日夜、シードラゴンは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯12度20分 東経109度27分 / 北緯12.333度 東経109.450度 / 12.333; 109.450の地点で5隻の輸送船団を発見し追跡。翌9月30日1時22分、シードラゴンは浮上雷撃を行い、1隻を撃破したと判断された。シードラゴンは輸送船団の前方に出るべく東に向かったが、護衛艦の照射を受けて潜航。護衛艦は爆雷を6発投下し、船団護衛に戻っていった。シードラゴンは間を置いて浮上し、輸送船団の追跡を再開した。しかし、3時間後に主電動機のケーブルが過熱し、追撃は断念した。 10月3日夜に南シナ海を去ったシードラゴンは、5日後にバリクパパン近海で哨戒を行った。10月10日、シードラゴンは南緯01度07分 東経117度19分 / 南緯1.117度 東経117.317度 / -1.117; 117.317の地点で海軍徴傭船時雨丸(拿捕船、1,579トン)に対し船尾発射管から魚雷を発射。魚雷は命中し、時雨丸は最初の爆発から47秒後に消え去った。10月11日にはウィリアム岬とマンダー岬の間を哨戒し、翌10月12日にはマカッサル沖で哨戒した後、10月14日にロンボク海峡を通過した。10月20日、シードラゴンは55日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。潜水母艦ホーランド (USS Holland, AS-3) による整備を受けた後、ソロモン諸島の戦いに投入するため、潜水母艦グリフィン (USS Griffin, AS-13) およびフルトン (USS Fulton, AS-11) とともにブリスベンに回航された。
※この「第4の哨戒 1942年8月 - 10月」の解説は、「シードラゴン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第4の哨戒 1942年8月 - 10月」を含む「シードラゴン (潜水艦)」の記事については、「シードラゴン (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第4の哨戒 1942年8月 - 10月のページへのリンク