第4の哨戒 1943年8月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第4の哨戒 1943年8月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:28 UTC 版)

タニー (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1943年8月 - 9月」の解説

8月5日タニー4回目の哨戒パラオ方面向かった8月9日ミッドウェー島寄港し給油の後、哨戒海域針路向けた8月18日パガン島アラマガン島確認8月22日担当海域到着し哨戒開始した8月24日早朝タニーパラオ西水道通過する輸送船団発見以後絶好攻撃態勢になるまで船団追跡し続け8月25日未明タニー潜航し船団接近北緯0933東経13342分 / 北緯9.550度 東経133.700度 / 9.550; 133.700の地点いたったところで魚雷を5本発射し、すぐに深深潜航退避して爆雷攻撃備え、やがて魚雷命中音は聞こえたものの戦果確認できなかった。夜明けごろに潜望鏡深度戻り北緯10度01東経13332分 / 北緯10.017度 東経133.533度 / 10.017; 133.533の地点での二度目攻撃で7,500トン輸送船船団先頭輸送船に対して魚雷3本ずつ計6本発射し、5,000トン輸送船撃破報じる二度攻撃護衛艦側にタニー存在知れたが、護衛艦は6発の爆雷投下していくと、そのまま去っていた。タニー浅深度で観測した船団の姿は見えずタニー15時間ぶりに浮上して哨戒続けた8月26日午前タニー北緯0730東経13420分 / 北緯7.500度 東経134.333度 / 7.500; 134.333の地点別の輸送船団発見し魚雷を計5本発射して9,000トン輸送船魚雷命中させたと判定。しかし、まもなく猛烈な爆雷攻撃見舞われ艦内火災発生した火災自体大したことがなかったが、煙が充満してきて被害調査困難にした。タニー80メートル、さらに116メートル深度まで逃げその間応急措置班が冷静に行動し修理したためタニー救われることとなった夜に浮上したタニー改め被害状況調べたところ、艦首部分初めとして魚雷気密室などに大ダメージがあり、甲板上には爆雷破片散らばっていた。以後2日間にわたって修理全力傾けたが、どうしても現場で修理では手に負えないダメージがあり、タニー任務打ち切って8月29日海域去った9月8日タニー34日間行動終えて真珠湾帰投真珠湾での調査後西海岸ハンターズ・ポイント海軍造船所回航され、1944年2月2日までオーバーホール入ったオーバーホール終えたタニーは、1944年2月9日真珠湾到着した

※この「第4の哨戒 1943年8月 - 9月」の解説は、「タニー (潜水艦)」の解説の一部です。
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