第4の哨戒 1943年8月 - 9月
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「タニー (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1943年8月 - 9月」の解説
8月5日、タニーは4回目の哨戒でパラオ方面へ向かった。8月9日にミッドウェー島に寄港し給油の後、哨戒海域に針路を向けた。8月18日にパガン島とアラマガン島を確認。8月22日に担当海域に到着し、哨戒を開始した。8月24日早朝、タニーはパラオ西水道を通過する輸送船団を発見。以後、絶好の攻撃態勢になるまで船団を追跡し続け、8月25日未明、タニーは潜航して船団に接近、北緯09度33分 東経133度42分 / 北緯9.550度 東経133.700度 / 9.550; 133.700の地点にいたったところで魚雷を5本発射し、すぐに深深度潜航で退避して爆雷攻撃に備え、やがて魚雷の命中音は聞こえたものの戦果は確認できなかった。夜明けごろに潜望鏡深度に戻り、北緯10度01分 東経133度32分 / 北緯10.017度 東経133.533度 / 10.017; 133.533の地点での二度目の攻撃で7,500トン級輸送船と船団先頭の輸送船に対して魚雷を3本ずつ計6本発射し、5,000トン級輸送船の撃破を報じる。二度の攻撃で護衛艦側にタニーの存在が知れたが、護衛艦は6発の爆雷を投下していくと、そのまま去っていた。タニーは浅深度で観測したが船団の姿は見えず、タニーは15時間ぶりに浮上して哨戒を続けた。8月26日午前、タニーは北緯07度30分 東経134度20分 / 北緯7.500度 東経134.333度 / 7.500; 134.333の地点で別の輸送船団を発見し、魚雷を計5本発射して9,000トン級輸送船に魚雷を命中させたと判定。しかし、まもなく猛烈な爆雷攻撃に見舞われ、艦内に火災が発生した。火災自体は大したことがなかったが、煙が充満してきて被害調査を困難にした。タニーは80メートル、さらに116メートルの深度まで逃げ、その間に応急措置班が冷静に行動し修理したためタニーは救われることとなった。夜に浮上したタニーは改めて被害状況を調べたところ、艦首部分を初めとして魚雷の気密室などに大ダメージがあり、甲板上には爆雷の破片が散らばっていた。以後2日間にわたって修理に全力を傾けたが、どうしても現場での修理では手に負えないダメージがあり、タニーは任務を打ち切って8月29日に海域を去った。9月8日、タニーは34日間の行動を終えて真珠湾に帰投。真珠湾での調査後に西海岸のハンターズ・ポイント海軍造船所に回航され、1944年2月2日までオーバーホールに入った。オーバーホールを終えたタニーは、1944年2月9日に真珠湾に到着した。
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