第4の哨戒 1944年4月 - 5月
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「ボーンフィッシュ (SS-223)」の記事における「第4の哨戒 1944年4月 - 5月」の解説
4月13日、ボーンフィッシュは4回目の哨戒でセレベス海方面に向かった。4月26日午後、ボーンフィッシュは北緯11度30分 東経109度08分 / 北緯11.500度 東経109.133度 / 11.500; 109.133のサランガニ海峡で、ミンダナオ島沿岸を航行する4隻の輸送船団を発見。護衛艦の目をかいくぐって十分な追跡を行い、夜に入ってから「妙義丸級輸送船」に対して魚雷を4本発射。うち2本の魚雷が「妙義丸級輸送船」の中部と後部に命中して目標は沈没した。翌4月27日朝にも4,500トン級輸送船を発見し、魚雷を4本発射して少なくとも3つの命中を得たと考えられたが、目標は沈まなかった。5月4日朝、ボーンフィッシュは北緯06度47分 東経120度20分 / 北緯6.783度 東経120.333度 / 6.783; 120.333のスールー海入り口で輸送船団を発見し接近したが、上空に哨戒の二式水上戦闘機がいたので潜航。二式水上戦闘機はボーンフィッシュに対して対潜爆弾2発を投下し、この攻撃でボーンフィッシュは小破した。ボーンフィッシュは修理をするため浮上したが、2隻の艦船が向かってきたので再び潜航し、爆雷攻撃に備えた。2隻は爆雷を25発投下した後遠くに去っていった。一連の反撃が止むと、ボーンフィッシュはバシラン海峡の北で哨戒を続けた。5月7日、ボーンフィッシュはフラッシャー (USS Flasher, SS-249) からの情報に基づいて哨区を修正する。間もなく陸岸沿いを航行する輸送船団を発見し、護衛艦の動きに注意しながら追跡を行い、夕刻に北緯07度07分 東経121度50分 / 北緯7.117度 東経121.833度 / 7.117; 121.833の地点で輸送船に向けて魚雷を4本発射して3つの命中音を聴取したが、護衛艦が反転してきたので最終的な結果を確認することは出来なかったが、撃沈と推定された。5月9日未明、ボーンフィッシュは30トン級セイルボートを発見し、ピジン英語を話す原住民と会話した。原住民の言から、ボートはカガヤンからパラワン島タイタイに向かっており、途中パナイ島で米を積んでいたもので、クルーの中には2人の元フィリピン軍兵士がいること、日本の輸送船がデュマラン(英語版)地域の水路を使用していること、プエルト・プリンセサに500名、コロン島に300名、タイタイに40名の日本軍がいることなどが分かった。2日後の5月11日未明には北緯08度48分 東経123度00分 / 北緯8.800度 東経123.000度 / 8.800; 123.000の地点で、「千鳥型水雷艇」を付した「厳島型敷設艦」を発見して魚雷を4本発射したが、命中しなかった 5月14日未明、ボーンフィッシュは北緯05度03分 東経119度36分 / 北緯5.050度 東経119.600度 / 5.050; 119.600のシブツ海峡で、駆逐艦2隻と3隻の特設運送船(給油)からなる船団を発見した。特設運送船(給油)は日栄丸(日東汽船、10,021トン)、あづさ丸(石原汽船、10,022トン)、建川丸(川崎汽船、10,090トン)で、駆逐艦は響と電であり、あ号作戦に備えてマニラからバリクパパンに燃料を取りに向かっていたものであった。ボーンフィッシュは船団後方から攻撃を仕掛け、4時11分に魚雷を5本発射。当初は6本発射する予定であったが、1本が発射管の故障で発射できなかったため5本の発射となった。目標はタンカーだったが、魚雷はタンカーとは別の目標、すなわち電の後部と中央部に命中。電は煙と炎に覆われ、船体をV字型に折って沈没した。響が反撃に出たが、ボーンフィッシュは深深度潜航で反撃から逃れた。ボーンフィッシュは電を撃沈したとは思わず、当時はタンカーを撃沈したと報告した 。電を撃沈したと分かったのは戦後のことであった。 電を撃沈した後もシブツ海峡で哨戒していたボーンフィッシュは同じ5月14日の午後、タウィタウィに入る日本艦隊を観測。3隻の戦艦、1隻の空母、3隻の重巡洋艦、1隻の軽巡洋艦を確認し、その周囲を8隻の駆逐艦が警戒していた。5月17日にはタウィタウィ湾内に3隻の戦艦、3隻の重巡洋艦、2隻の軽巡洋艦、9隻の駆逐艦が在泊しているのを確認し、5月19日にも湾内に入るタンカー船団を確認した。一連の情報は直ちに司令部に通報された。任務を終えると、ボーンフィッシュは南に針路を向けた。5月30日、ボーンフィッシュは48日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がローレンス・L・エッジ少佐(アナポリス1935年組)に代わった。
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