第4の哨戒 1945年5月 - 7月
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「シーデビル (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1945年5月 - 7月」の解説
5月30日、シーデビルは4回目の哨戒でロンクィル (USS Ronquil, SS-396) およびパドル (USS Paddle, SS-263) とウルフパックを構成し東シナ海および黄海方面に向かった。6月6日、シーデビルはトカラ列島を通過して東シナ海に入り、やがて黄海に入った。6月7日以降は朝鮮半島西岸の島々の間を航行し、6月8日には山東半島と朝鮮半島の間の海域を哨戒した。6月14日午後、シーデビルは護衛艦をつけている貨物船を発見。シーデビルは貨物船の船首に向けて魚雷を4本発射し、体当たりを避けるべくコースを変えた。23秒後、2本の魚雷が若宮山丸(鏑木汽船、2,211トン)に命中し、若宮山丸は北緯37度35分 東経123度30分 / 北緯37.583度 東経123.500度 / 37.583; 123.500の地点で沈没していった。護衛艦が爆雷を投下し、そのうちの5発ほどがシーデビルの近くで爆発。シーデビルはこれを避けるため海底でじっとしていた。 6月21日朝、シーデビルは山東半島から朝鮮半島のほうに向かう3隻の武装トロール船を発見。うち1隻は別の船を曳航していた。9時43分、シーデビルは浮上し3分後には5インチ砲、40ミリ機関砲、20ミリ機銃を総動員して攻撃。曳航されているトロール船を一瞬で葬り去り、曳航していたトロール船は全速力で西方に逃走した。シーデビルは3名を捕虜にした上で南に下った。しかし、以降の6日間は天候不順に悩まされて成果が出なかった。6月27日には済州島などの写真撮影を行い、6月29日にはPB2YコロナドとPBMマリナーと共同で救助作戦に参加。シーデビルは慶良間諸島を本拠とする第4救難隊のPBMクルーを乗せ、6月30日の夕方から伊江島に拠点を置いたP-47パイロットの捜索を開始した。翌日、パイロットは僚機によって発見され、シーデビルは正午前にパイロットを迎えた。シーデビルは琉球諸島北部および九州南方海域での救助艦任務を7月10日まで続けた。シーデビルは54日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。この際の修理に際して、シーデビルに LORAN 用機材および無線方向探知機が装備された。
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