第4の哨戒 1945年5月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第4の哨戒 1945年5月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:04 UTC 版)

シーデビル (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1945年5月 - 7月」の解説

5月30日シーデビル4回目の哨戒でロンクィル (USS Ronquil, SS-396) およびパドル (USS Paddle, SS-263) とウルフパック構成し東シナ海および黄海方面向かった6月6日シーデビルトカラ列島通過して東シナ海入り、やがて黄海入った6月7日以降朝鮮半島西岸島々の間を航行し6月8日には山東半島朝鮮半島の間の海域哨戒した。6月14日午後シーデビル護衛艦をつけている貨物船発見シーデビル貨物船船首向けて魚雷を4本発射し体当たり避けるべくコース変えた23秒後、2本の魚雷若宮山丸(鏑木汽船、2,211トン)に命中し若宮山丸は北緯3735東経12330分 / 北緯37.583度 東経123.500度 / 37.583; 123.500の地点沈没していった。護衛艦爆雷投下しそのうちの5発ほどがシーデビル近く爆発シーデビルはこれを避けるため海底じっとしていた。 6月21日朝、シーデビル山東半島から朝鮮半島のほうに向かう3隻の武装トロール船発見。うち1隻は別の船を曳航していた。9時43分、シーデビル浮上し3分後には5インチ砲、40ミリ機関砲20ミリ機銃総動員して攻撃曳航されているトロール船一瞬葬り去り曳航していたトロール船全速力西方逃走したシーデビルは3名を捕虜にした上で南に下った。しかし、以降6日間天候不順悩まされ成果が出なかった。6月27日には済州島などの写真撮影行い6月29日にはPB2YコロナドPBMマリナー共同救助作戦参加シーデビル慶良間諸島本拠とする第4救難隊PBMクルー乗せ6月30日夕方から伊江島拠点置いたP-47パイロット捜索開始した翌日パイロット僚機によって発見されシーデビル正午前にパイロット迎えたシーデビル琉球諸島北部および九州南方海域での救助任務7月10日まで続けたシーデビル54日間行動終えてグアムアプラ港に帰投この際修理に際してシーデビルLORAN機材および無線方向探知機装備された。

※この「第4の哨戒 1945年5月 - 7月」の解説は、「シーデビル (潜水艦)」の解説の一部です。
「第4の哨戒 1945年5月 - 7月」を含む「シーデビル (潜水艦)」の記事については、「シーデビル (潜水艦)」の概要を参照ください。

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